ないところ、やはり自然のよさがあります、ヴォルフ夫人も実によくとれているわ。変な不必要な肉体の露出なんかなくてね。しかも情愛がちゃんと肉体の理解にも及んで描写されていて。どうぞくりかえし折々タバコかユリのボンボンのように休みのため、瑞々しさのため、よろこびのため、御覧下さい。大枚八円也を奮発したのはそういうわけですから。
 あのヴォルフの先の海浜にて、どうしたかしら。何だか見当らないようですけれど。カメラがこんなに生々としていて美を吸い出して来るとは美事ねえ。こういう文学がほしいことね。美しくて、その美しさを感じる故に自分も美しいものをつくりたいと思う、そんな小説がよみたいことね。明日午後おめにかかります。

 三月二十五日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 三月二十四日  第十六信
 ほんとにわるかったことね。たしかにどこかが痺れたのね。何だか変だな、こんなに永くという風に思いながら、一生ケンメイこまかいことコチャコチャやっていて(表の)。本当に御免なさい。忘れたと、はっきりわかれば、勿論けさ早くかけつけただろうと思います、忘れたとはっきりするところまでも行かなかった次第です。いやな二日を暮させました。雨は降ったし、ねえ。三月二十日すぎから四月初めの荒っぽかった天気もお思い出しになったでしょうね。
 子供の名、きょうの案はなかなかわるくない感じです。字に情緒もあります、この字を紙にかいて眺めていると、男の子のいろいろの年代の心がうつって来るようです。悠ちゃんという男の子、少年悠造、大人の悠造さん、面白いわ。おじいさんの悠造殿。こうして見ると、男の子の名をきめるのはむずかしくて、そのむずかしさに生活が語られて居りますね。美津代と云ったって正代と云ったっていくらか性格のニュアンスのちがいが感じられるだけで桃色と水色ほどのちがいはないわ。女の一生の一般的なきまりきった内容があるのね。個性的でさえないようです。どうしたってそんな名妙だというような女の子が生れたら愉快ね。でも、一方から云えば、名できまるのではないのですが。
 けさ、周子さんという山崎の娘さんからハガキ来ました。今月は迚も一杯だから来月の日をきめましょう。
 さっき一寸出た家の話。私はなかなか名案のつもりでしたし、やはり名案だとは思います。しかし、仰云るようなひとなかなかないでしょう? 日本の一般では、そういう女のひとが一定の資力をもっているということは極くまれです。大抵親のところへまとまって暮します。さもない人は、条件の切迫しているのを、いくらかましにしたいという計画しかもたないでしょう。私は、いろいろおちついて考えて、この前と全体の条件のちがうことをよく計量して、感情的に処さない決心です。ですから、この前は売り払うものを払って、通りぬけたのですが、これからはそれはききませんから、この前の前の手紙に書いた最低の安定力学は重大です。いろいろ計算すると、家を半分ずつにして使うにしろ、まとめてお送りしている位はミニマムね。それに六倍したものもミニマムです。それだけが流れ入る河筋について研究をこらす必要があります。本の平均の印税として換算すると、(『明日へ』を例としてみると)一万部以上の必要があり、初版一千部が実施されれば十冊の本となります、再版可能のものとして三冊ね。それぞれトピックをとらえそれぞれに塩梅し、年三冊の可能はたやすく見出せないのが実際だろうと思います、「天の夕顔」の作者がプロンプタアです。そして、河上徹太郎、中島健蔵という人たちが、本で苦労をする必要のある世の中ということを考えて御覧下さい。三冊の可能の少さもわかります。私のプーパタパタで、今|の《ある》用意の継続が保たれれば寧ろ上乗と思うべきだと考えます。そして、それだけは是非やりたいと思います。そして、自分の勉強をやりたいと思うの。この計画はなかなか大変でね、だからその面からは林町のことも考えるし、あなたのおっしゃるのもわかるし、いたします。でもそれには何と心の抵抗がきついでしょう! 何だかまったく折れにくい、そして折れているのが自然でもない若い竹を力ずくでねじ伏せるようなところがあってね。自分の心でも、ふっと気がついて見ると、イヤあ、とそりくりかえっているのよ。無理もないことですが。どんなにそれを云いなだめて、すかせるかというようなところですね。その上、前の手紙で云ったような位置に在るのですし、ね。唸ってしまうわ。せめて、もうすこしあたり前のところに在ればいいのに。ハイ出ました。ハイ入りましたよ。まあ。でもね、もう一つ大局から見ると、そんなことにも平気になっている方がいいのかもしれません。あなたにじぶくっているようで相すみませんが。
 とにかく眼目は、私が車軸が曲って減った小車にならな
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