秋ごろから予定どおり出版企画が実現するとすれば、出版種目は急を要するもの――科学、工業、軍事だけが先になって、文化の方はずっと割合が低下するでしょう。そして、もし今云われているように初版が一千部ときまって、再版は許可制となるとすれば、許可制の内容は文部省のスイセン図書をみてよくわかりますから、それも極めて小範囲となるでしょう。どんな本やも、特別な文学物の店をのぞいては再版の可能なものの方を選ぶわけですから、その面からも一般に大変落付きを失っているわけです。そういう変化が迫っているということも、私の名案がなかなか浮ばない原因でね。川口松太郎は「蛇姫様」というようなものをかく男だけれども、余り艷かすぎるということでいざこざがおこって、何とか云われたとき、生活しなければならないんだからと云ったらば、それは十分よくわかる、そのためなら何も心配はいらない、満州へ行って電気屋になって下さい、足りなくて困っている、すぐ紹介状かきますと云われたよし。実に今日の逸話です。
T・Yという人がいましょう? 伺いたてたらノートを端から端までめくって見て、居ない。これで見るとよっぽどペイペイだろうということであった由。
私はさびた小刀になってしまうのもいやですが、さりとて余りのコマ鼠の遑しさで(心の、ね)結局その日その日のために本当の書きものが出来ないというのも非常に困ると思います。そういう風な生活のプランを立てたくない。それから、永い時間ということは必然で、云わば一生かもしれないから借金生活はいけません。結局つづきませんから。そこで、まことに私の不得手な算術を、ああ足して見てこう引くと、こう引いてああ足すと、とやって小首をひねって居ります。最低限の安定をどう求めるかという力学のようなことを考えているわけです。それの上にくもの智慧もいかして行かないと、私はすり切れてしまいますからね。いろんな面で何かの創痍《きず》がさけられないのならば、最も肉のあつい部分でそれをうけなければなりますまい。母親が子供のおしりをぶっても眼の上は打たないように、ね。私はわたしのおしりを見つけ出さなければならないと思います。眼をつぶさないために、ね。そして、その案の一つとしてこの家の便利なたてかたを利用して、二分してつかうと大いにいいのですね。今は何でも配給ですから、一人ぼっちでは手も足も出ません。お砂糖にしても一人では一ヵ月八十匁ですもの。さて、実際にその人のことになると大変むずかしいわけです。何しろこっちがこっちですから。
この前のときはあのときの条件から、強引生活をやって一ヵ年と四ヵ月暮しましたが、あれはいい経験となってプランを立てるについても今は有益です。ああいう方法ではいかに不可能かということが分っているから。どんなに小さくても自転作業がなくてはなりません。わたしも少しは実際的能力がたかまったというわけです。この点についても御褒美がほしいわ。私たちの最低の安定を発見さえ出来たら、もう心にかかる憂雲もなしと、勉強して、働いて、ボンボンになぐさめられてやってゆけます。〔中略〕
「どうしてもわけがわからない、ピンとこない、のみこめず不思議」と寿江子が眼をパチパチやっているのが無理もないわけね。のみこめる訳がない現象なのだもの。きょうあたりは、何だかいろいろ考えていて、ふっと可笑しくなるようなところもあります。大分御思案だな、無理もない、と。ホラ、ユリ、どうしたい? と。
きょう税の申告をいたしましたが、これこそ不合理そのものよ。前年度はたった七百円ぐらいに五十三円ばかりの税でした。五倍だというなら二百六十何円の税というわけです。どこから其を払ってゆくかということについてはとりたてる方は問題にしないのね。
こんなに苦心していれば、小説の点のようにどうにか展開いたします。小説はつまり現実のことですから、丁度小説の世界のシチュエーションを考えてゆくように、諸条件をよく調べて、内外の動的な作用をよく観察してプランを立てれば、きっと最小の展開はいたしましょう。感情的にならないで考えられるようになればもう占めたもので、そろそろ大丈夫よ。それは手紙の調子でお感じになれるでしょう? 何も経験ねえ。子供のひきつけで、はじめ動顛した母さんだって二度目には少しは呼吸がわかります。先は、いいえ大丈夫です、落付いています、そう云いながら洗面器の水で手拭をしぼろうとして洗面器のそとへ我知らず手をやっていたようなところを思いだします。やかましく云って下すって、金ダライのありかがわかって、というようでもあったわねえ。あれこれ考えると、やっぱり面白いものと思い、苦しいところの面白さも感じて来て、何かのスポーツのような興味もあります、今度は今度の条件でうまくやろう、と。
私はちっともスポーツの鍛練
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