非常に豊富でつよいメンタルな力がいるのだと思います。小説そのものが質を変化させて来ていることで、一致の可能は増大していることは現に自分について云えるのでしょうけれどね。私の評論に何かの価値の独特さがあるとすれば、それは小説をかく人間が書く生活性であるということ、そしてその生活性の質によって結果されるアクティヴィティであるということだと思いますが、そう批評する人は少いわ。そこにもやはり文学における小説と評論についての考えの旧い型があるわけです。では明後日、ね、かぜをお大切に。

 二月八日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 二月六日  第九信
 五日づけのお手紙をありがとう。それにつけても気になるのは行方不明の三十日づけです。本当にどこにどうなったのでしょう。
 今夕方の六時半。外からかえって来たばかり。『朝日』に生活科学の座談会(対談会)があって、私は職業と性能のことをききました。午後じゅうかかって。五時すぎのラッシュにもまれてかえって来て、これから夕飯です、その仕度の出来る迄これを書こうと思って。つまりタダイマーッとかえって来て先ず、ひどいこみようねえからはじまる家庭雑談の字にしたものよ。きょうは余り風がきつくて埃ひどくて顔がパリパリになりました。有楽町の駅からおりて、朝日へ出るまで日劇の横の谷間の風! 有楽町の駅は今とりひろげかけていますが、全く今のままではお話になりません、それにこの頃はどの駅でも針金だのナワだので仕切りがしてあるのよ、余りこんでフォームからこぼれたり左右の側がまぜこぜになったりするものだから。そういう殺風景な駅のフォームにオフィスがえりの娘さんたちに交って立っていると、目の前の東日会館の屋根で朝日ニュース。ナマムギ町から発火して忽ち漁師町をヒトナメにして百三十軒全焼、と電光ニュースが話してゆきます。生麦と云えばこの間まで野沢富美子の居たところです、その一家はどこかに家を建てたそうです、その家はやけなかったのかしら。火災ホケンなどということをあの酒のみのおとっちゃんは考えているかしらなどと、考えました。ものをまるきり持たなかったひとが、持たない苦労から持つ苦労に変ったとき、どんな気がするでしょうねえ。そんな風に変って行って、しかし野沢富美子の心の飢えはどうみたされているのでしょうね。あの娘の本の中(「長女」)に「根っからの不
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