良少女でないかぎり結局は親の云うことにしたがわなければならない」(それは売られてゆくことよ)という文句があってそれも忘れられません。「根っからの不良少女でない限り」とそういう正当な抵抗が対比されているところに、ああいう環境の深い浪曲性があるとも思われます。その痛ましさを彼女たちのために感じている批評はありません。
茶の間のタンスを本棚におきかえる話ね、まだ実現しないのよ。ひどいでしょう? 暮のギリギリ迄私忙しくて布地を寿江子に買わしたら一枚分しか買わず。やっときょうまわったらそれは売れ切れてしまっているの。寿江子たちどうして時々ああして変に上の空なのでしょう。まるで気取って歩くために行って来るみたいに用事の中心をいいかげんに忘れて。若い女の上の空性、実に私はきらいよ。何とかちょいと鼻を鳴らすとその場はごまかして。何だかズルリとしている。その不気味さ。そしてこれはきっと勤労生活をしない娘にひどいのだと思います。(ここであなたは苦笑なさりそうね。私は、そうひがむ[#「ひがむ」に傍点]のよ。ハハム、上には上があると見えるね、と。そうでしょう? ちがうかしら)頭の機敏なこととそういうところでキッチリしていないこととは一致しないようなところ。自分の興味と結びついたことについては正確機敏なところ。一つの近代娘のタイプですね。否定的な。
七日の朝、あらアやっと来た! というお恭ちゃんの叫びとともに三十日づけのお手紙着。よかったこと。ネズミがたべたのでなくて。きょうもしずかな暖い日でした。あれから銀座へ一寸まわって、子供たちへおみやげ買って、永福寺の近くへ行きましたが、町の様子がすっかり変ってしまっていてびっくり。
表紙のこと、大体こちらの希望をつたえました。装幀にはこまることね。あの本のは、青楓にして貰おうかと思ったりしていたけれど、あの還暦の会の日の青楓を見てやはりいやになってしまったし。私に合うようにするのが一番いいから、ということでした。そうならいいけれど。
その行きに、朝日へよっておっしゃったグラフききました。去年十月ごろの出版でしたってねえ。つい気がつかなくて。もうすっかり切れて居ります由。もう十日ほどすると出版局の人がかえります(大阪)から、そしたらきいて見て無理をたのみましょう。その人は杉村という人。
さて、三十日のお手紙、こまごまとありがとう。ああこれは
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