ど、ともかくあれは毛でしたから。よく栄さんにお礼を申しましょう。
『東京堂月報』のことわかりました。すぐちゃんとします。『年鑑』ね、ダブりました。それに、附図があったので、とりいそぎ送りましたけれど、では『キング』の地図だけお送りして見ましょうね。『キング』の方には中国の部がありますが、ヨーロッパの方は特別なよさがなかったので、先ず『年鑑』を、と思った次第でした。
 桶屋の娘さんのことについては御話いたしました通り。米のことが出ましたね。この頃の話題です、どこでも。
 一ころ大変ひどくて、お米少々に甘藷を一貫目もって来て、このイモを買ってくれなければ米はおいてゆけないと云ったような町もあったそうですが、近頃ややましになっています。うちは幸、あさかの方からのをつかっていて、直接そのうきめは見ませんが、県外輸出を禁じているので送り出しが自家用でもむずかしくて一俵は送れないようです。半俵ぐらいだそうです。うちは古くて、私の名づけたクサレ米をたべています。去年とりよせてあった俵で、そういうひどいのに当ったわけです。でも、どうやら間には合って居ります。炭は、あっちこっちに救援で、佐藤さんのところ、中野のところ、稲ちゃんのところと一俵ずつわけました。
 石炭が問題です。この頃は倹約で二日つづけてお湯を立てては二日ぐらいおくのですが、疲れるとこの二日がなかなかもちにくうございます。今少々あるのがきれたらさて、どうなるのでしょうか。まきでたいては時間が大変だし。マッチも大切な大切なものよ。うちではタバコのみがないからややおだやかですが。林町へおみやげに小さいマッチ二つ買って行ってやると、アーと歓声があがります。いろいろと面白い。
 三十日は、多賀ちゃんの眼の医者へ行って、皮膚科の人に紹介されて、それから信濃町へおりて外苑をずっと歩いて墓参いたしました。丁度林町の一行と落合ってそこから霊岸橋のたもとの大国屋といううなぎやへ行って、夕飯をたべました。かえりに林町へまわって、お風呂へ入ったらかえれなくなって泊りました。三十一日は、午後から夕方まで約束があって人と会い。つくづく日本の婦人運動をする人というものの質について考えました。統計というものの正当なつかいかたをも知っていない。そして、紡績資本家にごまかされている。そういう風です。女の立場、女の心持というものに、主観的なものばかりで、科学的なものが実に欠けているのです。
 一日は、どうしたとお思いになりますか? こればかりはあなたにもお分りにならないでしょう、議会(衆議)傍聴です。これも、その婦人運動家との話同様、私には初めてのことです。そしていろいろの感想あり。『週刊朝日』から行ったのですが。
 急に電力統制になったので、どこもかしこもバタバタです、印刷所などにやはり直接こたえますから。それは〆切りのくり上げということになって、私にもこたえるの。
「第三日曜」までの間にまだいくつもはさまっていて閉口気味です。でも、栄さんにたのんで援軍やって貰うことにしたから何とかなりましょう。面白いものね。口述筆記をして貰うのにS子さんは誰も駄目なの。一々内心で反応するから。栄さんは楽なばかりでなくよくゆくの。可笑しいものですね。人の気質は。私はきっとあなたの口述はうまくとりましょう。多賀ちゃんは余り内容とびはなれていて字からしてむりです。馬琴は目が駄目になって、そういうお嫁さん相手に書いたのだから同情いたします。母の晩年も、そういう人がたのんであって、それでいろいろヨーロッパ旅行記などかいていました。よく、字がひどいと云っておこっていた。
 この頃の日常はなかなかいい方だと思います。多賀ちゃんも大体すっかり馴れて、こまかいこと皆してくれていますし。
 三月下旬、小さい子が来る前、もしかしたら一人臨時に見つかるかもしれず。たかちゃん愉快にやって居ります。いろいろの人の集るところへも、やはりかまわないときはつれてゆく方針です。そしてそこにあるよいもの、下らないものについて、自分の判断をはっきりさせてゆくことは大切ですから。家族的な圏境ばかりでなく。
 二十三日にいただくものね、ああこう考えていましたが、今年はお風呂の寒暖計にします。これは必要だし、永年もつし、大好きなお湯につかうもの、休みのためにつかうもの、新しい活動の力のためにつかうもので大変いいから。やすいものでも可愛ゆいもの、そういうものだからいいでしょう?
 本月(一月)の表は、あらまし次のようです。手帖とり出し眺むれば、
  甲 4(九時台よ)
  乙 22[#「22」は縦中横](十時―十一時)
  丙 3
  丁 2
[#ここから15字下げ。「乙」「丙」の行の下に。]
起床はこの頃七時平均です。起床の丙が本月は三日ほどあります。お正月の二日とあと二十四日と、二十八日。(これは丁の翌朝)
[#ここで字下げ終わり]
     読書は六十一頁。
 読書は、長いものかく間だけは、やすみたいのです。私の計画では、それまでによんでしまいたいのですが。そしたらいいことね。これが終れたら、あとすこしウリヤーノフのものつづけてよみます。終れたらという字が、ひとりでにかけて、笑えてしまいました。フーフー工合がおのずから流露している次第で。ああなんとあなたはスパルタの良人でしょう。スパルタ人の母とか妻とか云う表現はあったが、これは私の新造語にしろ、スパルタの良人というものもあるわね。すこしは同感でしょう?
 ところで、十三日は(二月)すこし風変りな誕生日をしとうございます。ついこの間同じ顔で御飯たべて、その世話をやいてへたばったから又同じようにうちでやるのは、くたびれます。それはあなたのお誕生日にいたしましょう。そして私は十二日に鵠沼にいる女友達で小原さんというのを見舞に行ってやって、それのひきつづきで十三日はどこかで過したいと頻りに多賀ちゃんと計画しています。又一昨年の二月十三日をすごした熱川《あたがわ》へ行こうかとも考えます。或は国府津の家へ、とも。多賀ちゃんも「ああ楽しみ」と云っているが。
 国府津、ホラあの式で又フロなしですから(水もないのよ今は)それを考えると渋ります。鵠沼のあずまやがつぶれたのでいやね。さもなければあすこへ一晩泊ったのに。その娘さんは私を先生と手紙へかくひとですから、そこの部屋へは泊れないの。その頃まで大車輪でね、そして二日ほど息ぬきして、そして、又はじめます。私多賀ちゃんとあっちこっち歩くのすきです、寿江子みたいに気が重くないし、ひとを心持の上でひきまわさないから。折角風邪ひかずにいらっしゃるのですから猶々お大切に。もう二日で寒はあけます、余寒が却ってきびしいから、お大切にね。

 二月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 二月三日  第十一信
 今朝はこんな大きい字で雪のおよろこびをかきます。本当によい雪よ、よい雪よ、ですね。何と息も体の工合も楽々となりましたろう。余りかっと眩ゆくないのも休まる心持です。
 ゆうべ御飯たべて多賀ちゃんが台所のガラスをあけたら「あら雪じゃ」というの。「ホウ雪?」と出て見たら竹垣の上に柔かく三四分もう積っていて。「いいね、いいね」と云って床に入りました。よくつもったこと。
 只さえじっとしていられない雪なのに、このごろの雪故、速達出しに出かけたら、アスファルトの上はこわいこと。すこし雪があって下駄の歯がすべって。雪道を葉の青々と黄色い花をつけた春の菜種の花をもってかえりながら、動坂の三月だったか二月末か、ひどく雪のつもった夜、私は繁治さんと高円寺の方へゆく用があって、あなたに何かの雑誌を買うことをたのまれ、新宿のところで本屋の店を出た途端、すべってころんだことを思い出しました。そのとき繁治さんは手をかしておこしていいのかわるいのか、というむずむずした表情をして傍に立っていました。そんなことを思い出し思い出し歩いて。雪のある朝は陸橋の上から池袋の方を眺めた景色もなかなか絵画的です。東京には雪のないとき、この陸橋の下を屋蓋に白く雪をのせた黒い貨車がつづいて通るときも、何か遙かなる心を動かされて面白うございます。
 雪や雨はすきです。風は夏の風、でも微風よりつよいと閉口です。
 きょうはこれから『文芸』のつづきをかきます。「真知子」に扱われている世界にふれてかきます。鉄兵の「愛情の問題」にある誤りが「真知子」のなかでも別の形で出て居ります。
 そちらのバラやカーネーションもこんな光線のなかで、やはり新しく眺められましょう。きょうの雪は私にとって二重三重のよろこばしさです。あなたも皮膚のしっとりした快さでしょう? 本当によかったこと。この雪に向って歓迎の窓をあけたのは発送電の親方のみではありません。では又。お大切に、風邪ひかずを願って居ります。

 二月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 二月七日  第十二信
 お手紙をありがとう。きょうの雪もゆたかだけれども、私の方も珍しくたっぷりです。
 きのうね、小説をかく女のひとが来ていて、そのひとは珍しく来たひとなので話していたら、二月一日づけのお手紙が来ました。多賀ちゃんがだまって例のチャブ台の上においたので、私はチラリとそれを目に入れて、どうしたって手を出さずにはいられやしない、黙って封を切ったら詩の話が書いてあるのですもの。どうして話しの合間によめるでしょう。上の空になって、それでも相手しながら、手紙の上へ手をおいて、話しました。
 多賀ちゃんとの暮しだと、あなたも御一家息災というユーモアをお洩しになるし、こちらで笑う気持も自然ね。面白いものだと感じます。
 蜜入牛乳の欠乏は、お察しのとおり大変こたえます。芳しいオレンジのは、もうずっとなかったのだけれど、菜種の花のは折々あったのです、それもすっかりだから。そのせいか、それとも余り旱天つづきのせいか、全く温泉がなつかしくて。何か生理的にほしいのです。温泉はいいけれども、ちょっとのことに行かなくて。熱川のつちやね、一昨年の二月にいた、あすこ四円だったのが六円になりました。無理もないけれども。
 きのうそちらへ行ったのよ。一昨日の朝、紀《ただし》が無事にかえって来ました。それで林町へ行って、親類が集ったのでおそくなりそうなのでとまってしまい。かえりそちらへよったらお金でしか入らない都合で(物はあるけれど)つまらなかったけれども、とにかく来たしるしに。
 バラやカーネーションは、平凡と思えば平凡ですが、やはり何かを語るところもあって、すべて花はやはり美しいと思います。花をよくよく眺めていれば、なかなか感動的です。
 机の上にフリージアの花があってね、はじめピンと軽く立っていたのが、花が一つ一つひらきはじめたら、その花々の重さで茎が何とも云えないリズムをもって撓《しな》っています。
 白い花弁に一本黄色い暖い色が走っていて、よく見ると深い花底の蕊の下にいかにもしゃれた赤っぽい縞が描かれていて、この一つの花に独特さを与えるこまかい自然の変化にほんとにおどろきます。その花の独特さ、ほかにない調子、それだけにある香り、重み、そういうものをしんから知ってきりはなせないのは、その花の茎であり、花から云えば茎であるというのは何と面白いでしょう。その花にその茎、その組合わせ以外に自然は考えさせもしない、それほど互にそれらしくある。面白いわねえ。美しさというのはこういうところから生れるのだと沁々《しみじみ》思います。
 ゆうべは、かえって来た野上さんや何かの歓迎会があってレインボーへ行って、外へ出たら大きい牡丹雪が舞い狂って居りました。バスは前のガラスにその牡丹雪が忽ち白くつくので、折々車掌さんがヘッドの方へ出てはらって又進みます。そんなにして目白まで来て、それからすっかり白い道を一足一足家へたどりつき。夜目に雪の白さは、そこをゆく白い足袋が黒っぽく見えるほどでした。街燈の真下にかえると何か黒い小さい蛾がとびちがっているような影が雪の上をかすめている。そういう景色も面白く。たかちゃん、かえったらす
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