を、それなり扱って、或る印象の混乱しているところもあったが。目録をおめにかけます。なかに明治七年に『経済要旨』という本を西村茂樹が訳して文部省で出している本が並んでいました。面白いことね。このままで進んだのだったら孫はどんなにか祖父をよろこびとしたでしょうのにねえ。
 島田からかえってのち、私余り多忙で、何だかおちおちしないみたいで、あなたも変にお気ぜわしいようでしょう? 御免なさい。私がきょろついた眼付していると、やっぱりあなたものうのうはなされないようなのがわかるから。来月五日がすんで、さあ、もういいわと、すこしのんびりいたしましょうね。やっと、本当にかえって来た気になりましょうね、そして、あれこれお喋りもいたしましょうね。私はこんどはかえって来たというより体の前後左右から仕事にたかりつかれた工合で、忙しくて不機嫌になるという珍しい現象を呈しました。大体忙しくてもじりじりしたりしたことないのに可笑しいこと。きっと時候の故もあるのでしょうね。
 大事な詩集枕の下において、横になるとき一寸さわって、あああると思って、眠るという風です。深い深い休安、そして安息。心が肉体をとおしてだけ語れる慰安。そこにある優しさを、立派な人間たち、芸術家たちは知っている面白さ、「クリム・サムギン」の中にね、サムギンが「ああお前になって見たいと思うよ」というところがあって、私はどんなにおどろいたでしょう。女はその小説のなかで、そういう無限のやさしさ、よろこびの共感をちっとも感じないで、サムギンの心を寂しくするのですが。ほう、そうかいとお思いになるでしょう? そうなのよ。
 それからもう一つのこと、それは短編集を整理していて、感じた面白いこと。私の小説には何と月の感銘がどっさりあるでしょう、「鏡の中の月」という題があるし、「杉垣」には月空に叢雲がとんで妻と歩いている良人の顔の上にそのかげがうごくところをかいているし、更にこの「杉垣」は火の見の見える二階の白い蚊帳の裾にさす月があるの。
 重吉があらゆるこのもしい性格のうちに転身して来るのも私の一つの弱点(!)ですけれど。月はあおいあおい月以来、自然の景物のなかで、私の一生を通して特別なものになっているのね。この月光は窓にさしているだろう、屡※[#二の字点、1−2−22]そう思い、それはつよい潜在になって情緒の一つの表徴のようです。
 作家のいろいろの内部的な構成なんて、実に一朝一夕ではないものですね。だから作家の生活の周囲の意味が一層云われるわけです。
 私はどうしてだか、この頃人間の心のゆたかさ、面白さ、その面白さの刻々の流れが、いやに新しくわかって来ていて、そのものが時々刻々の接触にないのが本当に本当に惜しくて仕方なく思われる折が多うございます。この心持を興味ふかく思います。何か作家としての新しい展開のモメントがここにかくれていることが感じられて。根源的には全く妻としてのそういう渇望がねじを巻かれて、そういうものへもかかわってゆく過程も面白いことね。なかなか面白いところね。では又お体を呉々お大切に。

 七月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 七月七日  第四十四信
 もうすっかり、本きまりの暑さになりました。なかなかでしょう、どうぞうまい工夫で、いくらかはしのぎよくお暮し下さい。私の方は、スダレをはったりして、結局二階へ籠城よ。
 六日に一番終りの原稿を送って、ホッとしてそちらへ行ったわけでした。ですから、きょうは本当に本当に久しぶりにドンタクでね。ああ、ああと、腹の底から気持のいい太い息をついて、ゆっくり朝飯をたべました。午後三時からは如水会館へゆくのよ、そこで小椋さんの結婚披露がございます。あのかたも今度はやっと結婚出来るようになって、ようございました。前の婚約していて病気になり、ずっと経済的のことを見ていてあげたひとは、去年亡くなられたのだそうです。お互に苦しかったことでしょうねえ。でも小椋さんとしては、ちゃんとするだけのことをしてあげたし、その方もうれしい心もあって生涯を終られたでしょう。なかなか一通りでない心持の後の結婚ですから、友人たちも皆おめでたいと思っているようです、対手のひとは存じませんが、いろいろわかっている人のようです。
 今月ぐらい気の張りどおしの月はなかったと思います。だってね、五月下旬からもう精一杯はりつめて、それでも大事な仕事を二つも出来ずに立って、かえって、それから五日迄、十何日という間に百四十枚以上の仕事したのよ、それぞれ勉強のいるのを。あの「昭和の十四年間」が八十八枚のうち五十枚、今度口述したり書いたりでしたし。それでも、徹夜というものはしなかったのだからほめて頂戴。二時になったと云ってシッポつかまえられましたけれど、でも、あれはねえ。そんなことが一晩もなかったと云ったら、それは余り御体裁と申すものでございましょう。我が夫は天の如し、あざむくべからず、という家憲でございますからね。昼間フーフーでやり通すから、どうやらつづいているわけでしょう。その代り、というわけで、読書は御免下さい。迚《とて》もやれませんでした。又継続しますから御安心下さい。
 私はこの頃図書館がすきと云うに近くなりました。あすこにいれば決してお客はありません。ちょいちょい何か囁《ささや》き合って、こっち見るひとたちはあっても、いきなりいつかのひとのように、そばへよって来るひとはマアありませんですから。本をよむにはいいわ、そういう勉強のときは。只、ものは書けません。特別室があればいいのねえ、大英博物館の図書館のように。そうしたら、本当にどんなに有効につかえるでしょう。でも、いろいろの点からよめる本とよんでいられない本とがあってね。そのことも面白い文化の諸相です。
 ところで六月二十六日朝のお手紙の前の分というのは月が変ってもいまだに出現いたしません。どこへ行ったのでしょうね、又そちらのところではなかったのかしら。私はそれで本望だけれど、郵便やさんは字だけよむのでね、不便ね。(!)
 二十六日のお手紙の紙は、ほんとにインクがにじんでかきにくそうだこと。こちらも紙は大変よ。原稿紙は本年ぐらい間に合いそうですけれど。このような手紙の紙、もうあと一二冊で、あとはどんなものになるのやら。やっぱりインクがにじんで大きな字しか書けないようなのかもしれません。
 栗林さん、きのう待っていてね、又会ってかえりました。謄写料のこと申していました。一つ五部のがあったかしら、私がしらべて引いてくれと申しました。さっきこまかくしらべたら、五通とってあるのは全部で五種類でうち三つは、一部ずつさし引いて私たちとしては四部だけの分を払って居り、あと二種が五部のままで、それが五十九円八十四銭となります。ですから今回の分からそれだけ差引いて支払えばよいということになります。マア、これでいいのでしょう。私たちとしては仕事がダラダラとルーズでもいいということではいやだから、のことですから。こういう類のことはいつだって、そして恐らく殆ど誰がしてもたくさんの無駄はありがちのものですものね。もう一人のひとの事務所でしらべること、月曜日にいたします。
 多賀子は、すこしましになって、うちの買物なんかはシャンシャン出るようになりましたが、東京の暑さはあちらとはちがう由で(それはそうでしょう)大体体が元気ないから、余りベンレイして臥《ね》られると閉口故、岡林さんのことなんか私が月曜日にいたします。
 今年の夏はいろいろと面白い心持をけいけんします。
 暑い、だけど仕事はしなければならず、又したい。そういう気持のとき、暑さにおされて、味もそっけもない風にしているのを見ると、いやねえ。暑いときこそ気をきりっとして、眼もさやかというはりがないといやになる。しかもそういう人間の精気なんて、なかなか求めたって無理です。暑いときの清涼さは、人間の積極の力からしか出ないのね。女の身じまい一つにしたってそうよ、活々《いきいき》した気働きのないのは閉口ね。それにつけても、暑いときこそ私は出来る限りさっぱりとして見て頂かなくてはわるいわけね。同じ汗いっぱいにしろ快く汗一ぱいでなくてはね。この点私は何点頂けるでしょう。
 ところで汗一杯はいいけれど、そして汗もなかなか面白い、どっさりの思い出をもって活気汪溢です、けれど、机にすれて、小さいアセモが出来てピリつくのよ、困りましたこと。丁度右手の下のところが。
    ――○――
 ここまできのう書いて、そちらでやっぱり汗の話が出たので、大変うれしゅうございました。四季とりどりの面白さは、何とゆたかでしょう。こもり居の夏、というような味はごく風流なものよ、滅多にない味よ、荷風だって存じますまい、おそらくは。そうして、そういう味いは、年とともに益※[#二の字点、1−2−22]豊富なニュアンスを加えてまざまざとして来るというのは又何と人間の心の微妙さでしょう。年々はその光彩を鈍らせるものとして作用しないで、段々深さを加えた深い淵のような渇望を湛えてひき入れるような精気を放っているのは奇麗だと思います。
 その精気は溢れしたたって、それを語る瞳のなかにきらめきます。
 きのうも沁々思ったのですけれどね、いろいろなこと用のこと話していて、大きな声で話していて、次第にその声が低くまってゆく調子、やがて声が消える、自然に向って低まってゆく思いの面白さ、ね。その速度ははやく距離は近いわ。痛切に思います、何と情愛の断面は全面的にひらかれているのだろうと。
 虎の門へゆく電車は遠くて、こんでいて、もまれて立ちながら、私はその心の余波のなかにいるの。やっぱり大きくは声の出にくい状態で。電車の遠いのはいいわ。誰とも口をきかず、群集の中で、ひとりの心でいられるのは。二人きりでいられるのは。
 途中、時間の都合で神田へまわりました、そして仰云った61[#「61」は縦中横]という番号の改造文庫しらべましたが、この頃の番号のつけかたが変ってしまっていて、どれだか分りませんでした。又あした伺いましょう、でもきっと品切れの分でしょうね、改造文庫は実に少々よ目下。『文学発達史』しか東京堂にありませんでした、そんな工合。
 虎の門ではすっかり詳細にしらべました、手元にある分、送ってある分、その他。随分どっさりのものが送られて居りません。富士見町へ行って、そのリストとてらし合わせて、一部ずつちゃんとそろえて届ける約束しました。私が行ってやりましょう、私が行って、やれば出来ましょうから。これもそれもお使では駄目。この数日のうちに一かたつけてしまいましょう。
 そして又図書館通いをして、『文芸』のすっかりまとめて、原稿わたして、そして、本腰に長篇にとりかかりです。そしたら細かいもの皆先へのばします。
 金星堂のは七月十五日ごろ迄に本になりますでしょう、これは部数も少いけれど。
 それから、借かんの話ね、決して妙なことではなくて、全く短期間のことですから、どうか気になさらないで下さい。そのために、あなたが何かおっしゃるというような必要は決して決してないことですから。只、私の小さい水車の渇水について心配していて下さるから、その補供の道を一寸お耳に入れただけなのですから。すぐ金星堂の方のと九月に実業之日本の方のとですんでしまうのですから。
『文芸』の方の本になるのは[自注3]又次の必要のために役立てますし、大丈夫よ。今年は順調の方よ、まだまだ。
 記録のこまかい計算は明日おめにかかって。でも、私覚えちがいしていなかったので大笑いしました。やっぱり十一日でしたね、あなたのほかにもう一人九日と思っていた方もあるそうです、書記課へきいて確めてくれましたから、岡林氏が。ゆうべの雨、眠るにいい雨でしたでしょう? 休まったことね。きょうも余り暑くなくて。カッと照りつけられない日の休まった気分はいいこと。では又ね。

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[自注3]『文芸』の方の本になるのは――『文芸』に連載した婦人作家研究を中央公論社から出版することになり、全体
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