がとりあげられるのだろうと思います、すこし本気で考えてかきます。面白いでしょう?
これをかいたら『婦人朝日』へ三十枚の小説をかいて。やっぱり中途からついわりこみますね。ああお客が来てしまった、ではまた。
この間に五日が経ちました。
きょうは五月の十二日(日曜日)ひどい風。
けさ、女のひとのためのものを六枚かき終り。お客。それがかえって。夕飯までのひと休みを。
十日には、土曜日にたかちゃんが話したように行けませんでした。新聞のこと二回だけ書いたら行こうと思ったのですが、それがかけず。おしかったけれど、丁度何だか神経の工合で、ひどく胸がドキついて、夜中息苦しく目をさますようでしたから、休むと云っても、どっさり歩いたりしない方がいいだろうと思って。それもあったのです。どこか疲れがあって、そんな風に出ます。でも神経性で自分でもそのことにはこだわらずよく早ねをして、すこし朝長く床にいて、昼間仕事して、その位の注意で大丈夫です、みんな書くものは疲れかたがひどいことねえ。それは本当にそうだとも思えます。私なんかこんなに気をつけていてこの位ですもの、でも寝てしまうことはこの頃殆ど全くないからなかなかの好成績ですが。御心配は無用よ。食事だってよくよく気をつけて居りますから。よく野菜たべて。
たかちゃんに、例によってと笑っておっしゃったという用件ね、どうでしょう! 自分で、これから行きます、と金曜日に私に答えたのよ。
短篇をあつめたのが金星堂から出ます。直さんの『長男』を出したりしている昔からの店。「三月の第四日曜」をそこの主人のひとが大変感服したのですって。その題にします。これはあなたも御存じの題で私は気に入って居ります。「広場」「おもかげ」「昔の火事」「杉垣」その他『新女苑』にかいた短篇三つ。それからもと、長篇としてかき出した「雑沓」「海流」「道づれ」これはどうなるでしょうか、もう一度よくよみかえして見なければなりません。もし入れば随分分量のある本になります。三つだけで百五十枚ぐらいでしょう、あと二百八十枚ぐらいありますから。これから『婦人朝日』へかくのも入れて。
『新女苑』の六月号の裏を見たら近刊予告の中に私の感想集を出すとかいてありました。これはいつか一寸話のあったので、女のひとのためにかいたもの、随筆その他で、文芸評論は私は別にして、それだけまとめたいと思いますから。女のひとのための教養の書という性質のものをまとめるつもりです、そして、うしろに読書案内をつけます、勿論私の知っている範囲なんてたかがしれていますけれども、それでも何かの役には立つでしょう。それに本年のうちに近代日本の婦人作家がまとまれば私として三種の活動がそれぞれまとめられるわけでまあ悪くもない心持です。金星堂のは松山文雄さんに表幀たのみます、松山さんは今自分の仕事に向ってもはり切っていますから。素朴だがいいと思うの。柳瀬さんのは、透明になりすぎていて、あの画境に疑問もあります。
『都』の「読者論」は、ともかく一生懸命かきました。一部の作家が三四年大衆のための文学と云って、同時に批判の精神なんか必要としていないと、読者の文化水準にかこつけて、その提唱者たちが自己放棄をしたときから、読者と作家との正当な関係は失われたこと、そのときから読者の生活は作者の生活的現実ではなくなったこと、そして、作家は制作から実務(ビジネス)にうつったこと、作家が、読者とのいきさつを正当にとり戻さない限り、読者は作家との正当なありようをもち得ないことなどをかきました。そして文学をてだてとして、常識の日常をかためる典型として石川があらわれていること等を。
私は作家として、やはり作家の責任というものを感じ、その面との相関的なものとしてでなくては云えません。只の社会現象としてだけ切りはなして大宅氏が、半インテリ論をするようには云えない。そして、それはごく当然のことです。
さて、『婦人朝日』の三十枚の小説はどんなのをかきましょう。それ迄にこまごましたもの三つ四つまとめておいてね。オランダの女王は六十歳のおばあさんです。そのひとにとって自分の国の堤を切る心持はどのようでしょう。レムブラントの絵はどんなにしまわれるでしょう、ヴァン・ゴッホの絵は。おばあさんの女王は、どんな顔つきで執務して居られることでしょうね。大した働きてだそうです。その姿がフランドル派の絵のようですね。室内の絵の質も歴史とともに様々ね。
五月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月二十日 第三十四信?
さっきかえって、マアともかく一休みと横になっていたら電報。やっぱり小説の〆切は二十三日でよろしいとのことです。フーッと大息をついて、やっと眼つきが平常になりました。どうも新聞やさん少々かけひきをしてともかく插画だけものにしてしまったのではないかしら。それにしろありがたいわけです。おっしゃるとおり明日夜まで三十枚は神業で、しかも到って人間並のが敢て試みようというのですから、つなわたりのようなわけでした。今月はすこしずつ仕事おくれました、胸がドキつくから。そんなこんなで。あなたまでいそがしがらせて御免なさい。でもたまにはいいでしょう、〆切なんて。あなたのお身にもついているものですから。
きょうはすこしはれぼったそうでした、どうかよくお休み下さい。疲れて眠れないという晩に、あなたがあがったチョコレートのことなど思い出します。覚えていらっしゃること? 白い紙につつんで、ボンボンの粒々。そういう夜には、きまって私は居ないのね。
きょうは、丁度中途半端な時間にそちらに行ったのですが、うちにいて、誰かに押しよせられたら目も当てられないので、とにかく出かけ、そちらで手帖出していろいろとこねて居りました。順助さんという若い男が現れます、その従妹の桃子という娘が居て、これはつとめています。二人は互に大変よく気持も分りあって好きなのだけれど、結婚はしない、恋愛には入らないということも分りあっているのです。桃子は、たっぷりやでね、従兄妹同志というようなことで、安心して子供を生めないというようなのはいやなの。「順助さん、従兄なんかに生れて来るんだもの」そういう娘。順助さんは若い勤め人。友人の妹ともしかしたら結婚していい心持になるが、娘と親とは順助が出征するかもしれない――殆どする、ということで進まない。順助はだから結婚生活をもしておきたいのに。桃子にはそれが分るのですが。今日の若い娘とその周囲とは結婚がむずかしくなって来ているにつれて女の生活の安定の目やすから対手を見る打算がつよくなって来ている。反面、青年の心にはもっとずっと人生的な思いで、妻というものを考える心持がある。それは女の今という時代を経てゆくゆきかたとちょっとちがっていて、男の心の寂しさです。桃子の母は、つとめている娘は猶対手が見つかりにくいと云ってこの頃は気を揉む。だが、それならつとめをやめていつ誰があるというのでしょう?
現代のそういう問題をかいて見ようという次第です。三十枚では無理? こんなことでもフランスあたりと若い女の歴史の経過しかたが大変ちがって、桃子はそのことも考える、そういう娘です。題はまだないの。
さて、ここまで二十日にかいて、二十三日にこの小説かき終り。「夜の若葉」という題です。三十四枚なり。
きょうはもう二十八日なのですが(この間に二冊の本の原稿整理)、この手紙の前に十九日にかいていると思いますが、どうかして私の方の手帖にはかきこんでないのです。着きましたろうか、尤も十九日には、二種類の原稿をかいているのですが。どうも余りごたつくので。でも十八日は日比谷でしたからかいたわけねえ。はっきりしないなんて、御免なさい。
きょうは上気したお顔でしたが、大分お疲れになったでしょう? うしろから見ていると、背中の左側に力が入って何だか気にかかりました。本当におつかれでしょうね、呉々お大切に。きょうは、初めての日のあとに私が手紙で書いた感想を益※[#二の字点、1−2−22]切実に感じました。文学においてもリアリスムというものが、どんなに明確、客観的な土台の上になければならないかということに通じた感銘です、そして、私はつよくアダプタビリティというものの本質を覚りました。文学上の表現、再現、読者に本質のことをわからせてゆくための表現法の上の必要なアダプタビリティというものは、決して、それ自身方便的な云いまわしではなくて、表現しようとする事物の核心のはっきりしたとらえかた、テーマのはっきりした把握、その必要の範囲への理解などから生じるものであって、やはりここに云えることは真のリアリズムの生命的なリアルな動きというものです、それとしてあらわれるのが文学において正しい表現としてのアダプタビリティである、実にそう思い、大変多くのことを考えました。
ねえ、そして、私には一つの深い深いよろこびがあります。それは時間と成長とのいきさつのことです。何年間というようにして数えられる年限、そして、その時間の外皮は文学のリアリズムを固定させるかのような条件であるにかかわらず、生活の力と生長の力はその外皮の予想を克服して実に感覚として今日をとらえているということは何といううれしさでしょう。つよくそのことにうたれました。資質のほんとの良質、それとたゆみない努力、感受性、それらに満腔の拍手を送りたいと思います。評論記述のこの美しさを書いている人自身果して私が感じるほどにつよく知っているでしょうか、或は知らず天真のところがとりもなおさず、そのよさの生粋さであるのかもしれませんけれども。ああと私は思うのよ、あの文芸評論の骨格はこのように成熟して来ている、と。
こんな様々の感想をもって、一休みして、夕飯に下りたら島田から速達が来ています、何だろう、と云ってあけたら、「本日は至急御通知することが出来ました」という冒頭で、達治の嫁がきまり、先方はいそがしくもあるし七日以後にと申しますが、当日の式服だけでよいからということにして、お客は秋になってすることにし、式を六月六日に挙行。「六月四日に法事早メマス」とお母さん、ペンの跡|淋漓《りんり》というはりきりかたでお書きです。前の河村の親類の高森の熊野写真館の心配で玖珂《くが》の迫口家の三女二十一歳とも子という人だそうです、体格良、女学校は優等、という達ちゃんかねてのぞみの条件で、おまけに美人の由です、大変結構です。多賀ちゃんも前にこのひとのことが話にのぼっていたのを知っていたそうです、玖珂の迫口というとあああの家というところだそうですね、御存じ? 父親という人はアメリカにいる由、息子も本年中学を出て今春渡米したそうです。仲人も土地では家柄だそうです、達ちゃん伍長になるとなかなか万事|楽《らく》と大笑いです。
まあこれで私たちほんとに安心いたします、よかったこと、ねえ。でも、これも大笑いなのですが、何と急なさわぎでしょう、私の閉口ぶりお察し下さい。お法事が四日では三日の桜で立たなければなりません、六日におめでたい式につらなるためには。それのための服装が入用です、東京でのようにはゆきませんから。それを大至急作らなければなりませんが、私はこの丸さ故、かり着一切だめ、出来合も間に合わず。可哀そうでしょう? 黒の裾模様というものがいるのよ、これはいくら原稿紙に描写しても着られないのですものね、あした大童です、しかも三日迄夜の目もねずの勢で仕事片づけなくては行かれないし。そういう裾模様を着て厚くて大きい丸帯をしめて、お姉様は兄の代理にいくつおじぎしたらいいのでしょうか、あなうれしや苦しや。式は高森というところの佐伯屋という家で双方出合って出合結婚(とかいてある)をなさる由です。
お祝に、お父さんのときほど持って参りましょうね。お嫁さんとお嫁さんの実家へはどんなお土産がいるでしょう、お嫁さんへは何か私たちから記念になるものをあげるべきでしょうから。お実家へはのりのつめ合わせでもあげましょう、それでいいでしょう? 余り柄にない
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