ら又その上の課程をやります(研究科か裁断科か)そしたらこの年いっぱいでいくらかまとまりましょう。自由科というのもあって、それは回数券です。井上英語スクールと同じシステムですね。これにきまって私も大安心です。四月五日からのが丁度月水金の組で本当にうれしいこと。そうすれば二人が交互ということになりますから(大体)いいこと。稽古の方は九時―四時。これもいい時間です。家じゅうしゃんとしてやれてようございます。小さい女の子はそれこそ三月第四日曜日ぐらいに来ますでしょう。一寸した郵便局のおつかい、八百やへの使い、御飯たくこと、そんなことから段々なれれば大いにようございます、大森の方の子ですから、都会の生活には馴れているわけです。どんな子でしょうね。のんびりとよく大きくしてやりたいと思います。いろんなことを覚えさせて。多賀ちゃんも可愛がってやると楽しみにして居ります。
お母さんのお砂糖、やっぱりこちらも一時に買えず、買いたまりましたから、きょうお送りいたします。ああ、読書の恐ろしい顔の天使が、右の肩から私をのぞきます、暫く御無沙汰していたからよ。何と嫉妬ぶかいのでしょうね。では、どうぞお大事に、本つきましたろう?
三月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月十五日 第二十信
十一日づけのお手紙、かえったら来て居りました、ありがとう。きょうは、退屈したダルマが手をのばしたり足をのばしたりする絵があるでしょう、ああいう工合で落付きませんでしたね。
音羽へは今夜参ります。片方は留守。「奥様は?」「お留守でございます。」これも夜かけて見ましょう。
かえりに目白の市場で多賀ちゃんののむアスピリンをきいたら、思いがけずバイエルのがあって、六粒七十銭。それでも大いに助りました。座骨神経痛というのは風邪とともにおこるものだそうです。気がつかないでいて、いつか風邪をひいていたのね。昨日は、和泉橋へ行くときからすこし妙だったのですって。スーンと走って痛むのでクサレがひろがるのかと気を揉んだのですって。大笑いしてしまいました。夕飯のあと、私はそれは神経痛だから暖めて横になればいいだろうと云っていたけれども、まるで不安な顔つきをしているので、不安で安眠しなかったりするといけないと思って、佐藤さんに来て貰って、どこか押して、はっきり座骨神経痛と云われて安心してよく眠ったようです。湿布して横になって居ります。食慾もあるから大丈夫。ただアスピリンをのむから、胃をわるくしなければよいと思って居りますが。三四日したら直るでしょう。それまではマア、ゆっくり休んでいることです。一粒ハリバの話したら、「うちはまだマーガリンではないバタをたくさんたべているのだからよかろう」と云って居りました。「痛くてホームシックになって、すこし泣いたかい?」ときいたら、「ちっともそんなことはない」って、十八のとき広島へタイプの稽古に行っていたときは、夜よく家が恋しくて泣いたそうですが。
大体この頃気候がわるいのね、寿江子はすこし調子わるくて、十時就寝励行(!)の由です。やっと、早ねの効験がわかったか、と私は大威張りです、はじめの頃、私が夕飯すむと、もう何となし寝る時間を気にしてそわそわしていたのを、寿江子は大分嘲弄いたしましたからね。「結局眠るということが大切だ」と云うから、「そうやって、お前の生意気が段々なくなっておめでたい」と、これも大笑いでした。
前の手紙に一寸かいたし、おめにかかって云っていたように今度は大車輪を、私としてはうまくしのぎました、もうこれで、これからやります。昼間を私は好きだしつかえるのに、昼間を十分いかさない法はないし。私の徹夜廃業が、この間うちの条件で実行されたのはやはり、徹夜廃業が身についたのね。その代り毎日いくらかずつ仕事をいたします。ダーッとやって、ダーッとやすむ式でなくなる傾向ですし、これは大いに良好な傾向です。
お手紙の小説のこと、全くそうね。小説というのは変ね、本当に。この頃の小説は、しかし小さき説をなす類さえ少い次第です、只話している、或は喋っている、そういうのが多いし、そういうのが迎えられます。
写真のことも、やはりいろいろと可笑しい、だって私は十二月初めからこの間まで、あれがそこにあるということで心をなぐさめられていたのですもの。可笑しくて腹立たしい心持です。赤子《アカコ》のはね、まだとってないのです、とりたいと思うし、そうしたら、どうしたらいいでしょうね、というわけなの。太郎とアカ子といろんなところでとった写真をおめにかけたいと思います、あの門、この門、この道、というようなところで。きっと面白くお思いになるでしょうと思って。
起床のことは大威張なのですけれども、読む方はペコペコなの。二月は50[#「50」は縦中横]頁。三月に入ってからは迚もで、やっと十三日から、まだひどい貧弱ぶりです。決して逆転してしまうことはないのです。でも、どうぞどうぞあんまり眼玉をグルンとお動かしにならないでね。身がちぢむからね。こんな肩身のせまい思いをする気持、あなたはお分りにならないのでしょう、くやしいぐらい、ね。
きのう「ユリは丸くなったねえ!」と仰云ったには、本当に恐縮しました。うちへかえってもハアハア笑いました。だって私はこの何年かの間に徐々に徐々に丸くなって来ていて今更おどろかれたというのは全く仰天ものでした。でもね、私は大笑いしつつ面白く思いました。だってきっときのうはそんなこと、ハハアとお思いになるぐらいどこかのんびりだったのね、きっと。顔ばかり見て、用事用事ではないところがあったのね、いくらか。
そんなにホホウとお思いになって? 誰をか恨まんやですね。本よみのことで、こんなに肩身せまがったり、こんなに忙しがったりして、それでも痩せる方へ向かないというのは、よくよくのことだから、どうぞあなたも御観念下さい。隆二さんをやとって「はしきやし丸き女房もまたよかり」という和歌でもつくってもらいましょうか。「またま、しらたま、かくるとこなし」とでも。
小説のことになるけれども、この頃はあなたも又改めて通俗小説のフィクション性をお思いになるでしょう、私は痛感します。現実の発展を偶然にたよるということが、フィクションの法則みたいに云われているが、それはまだしも素朴な部ですね。偶然にもあり得ないことを、必然のようにつかってテーマを運ぶのだから、通俗に堕さない文学上の判断というものが、何と大切でしょう。
文学のこういうことに関して、どうせ門外漢には判らない、となげすてることで、一応文学の専門家と云われる人々のフィクション性をバッコさせるのですね。現実を現実として見てゆけば、作品のフィクション性から真のテーマのありどころが、やはりわからないことはないのですから。そういうことでもいろいろ深い感想が刺激されます。小説家が過去の範疇からよりひろいものとしてその常識上のカンも発育させるということは、何と大切なことでしょう。現実の真を見ようとする熱意の及ぼすひろさということも考えます。
長篇の準備は四月に入ってからです、尤もあれこれ折にふれてはこねているけれども。私は何か気持のいい作品がかきたいの。清潔で、深くて、ブリリアントな人間の心が描きたいのです。
時期のこともあり、結局うちにいて、毎日をよく整理して、多賀ちゃんにも出来るだけ助けて貰って、そしてその仕事はやりましょう、よそへ行くことは不自然です、そうして、今の私たちの生活として、そうしてでなければ書けないというようなものをかく必要はないと思うの。芸術の世界の感覚として、ね。これは同感でいらっしゃるでしょう? 芸術の必然にとってもこれははっきり云えると思います。ですから、この点ではガンばるつもりです。四月に入ったらそろそろほかの仕事をみんなことわります。長篇の稿料を貰うように相談してありますから何とかなるでしょう。六月六日には島田に行かなければなりません、三年ですから。こんどはいろいろな点からごく短くしか行けますまい。それ前に達ちゃんがかえるといいけれども。もし達ちゃんがそれ前にかえっても、私はそのためにかえることは出来にくいと思って居ります。どうお考えでしょう。きっとお母さんはおわかり下さるでしょうね、あなたからもよくおっしゃって下されば。
多賀ちゃん、ひっそりして臥て雑誌よんでいるようです。これから台所へおりて、夕飯たべたら、音羽へゆきます。
こんな風にして動いている私のふところの中には、やはり例の淡紅色の表紙の詩集が入って居ます。枕のそばにあったり、枕の下にあったり、いつの間にかその上で眠って、体の下になっていたり。机の方ではいつも左手のところにおかれます。そして、一寸つかれたときひろげて一行二行よむのですが、詩の面白さは、ほんの小さい情景をかいた短いものが、やはり心の中に入るとひろくひろく瑞々しくひろがるところにあるわけでしょう。「物干」という題のを覚えていらっしゃるかしら。季節は今ごろです。暖い春の光に質素なふとんを陽に向けてかけつらねた小さい家の物干。という描写からはじまるのですけれど。彼等は二人の子供のよう、彼等は二羽の雀のよう、という句もあるわ、覚えていらっしゃるかしら。親しい友達に一寸かくれん坊して、笑ってよろこんでいる彼等、そういうような初々しさの漲った描写もあります。
私は屡※[#二の字点、1−2−22]この詩をよみます。机の横の障子の外の竹すだれの外には、ここの物干が明るく陽に光っています。そこに折々あなたの着物だのがほされて。その間に顔を入れて陽のあったかさを感じていると、その詩の心は何とまざまざと生きて来ることでしょう。あなたの御愛誦の詩のはなしをきかせて下さい。では又、ね、お大切に。
三月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月十七日 第二十一信
きのうから手紙かきたく。夕飯をしまって、さて、と思っていたら人が来てしまいましたので到頭昨夜は駄目。
けさは、普通の時間に多賀ちゃんがおきましたので随分うれしかった。私はほっとして、すこしね坊。
御飯たべてから、多賀ちゃんは、うれしそうに上機嫌で、きのう寿江子がもって来て、かえるとき忘れて行ったパンジーを、植木鉢に入れました。たかちゃんは器用にいろいろよく知っているのね。野原の小父さまの御存命のころ、台所の柿の木のところから、ずっと十円も種をまいて花つくりをしたのですってね。小父さまがくしゃくしゃして変になりかかると、そこへつれ出して楽しんだとのこと。いかにも可愛い鉢が三つ出来て、私も手や前かけを泥だらけにしながら大よろこび。
それから二階へ上って、恐ろしい顔の天使をよんで、(吉例、読書よ)メモを見たら急にあわてました、というのは、十七日にわたす原稿が一つならずあるものだから。多賀ちゃんの病気いろいろでつい御放念だったものだから。
あわてている最中に、一箱つまった小説をもって来た人あり。辛い浮世と申すべし。
それから又引つづいて、百枚以上の小説を、ABCから話してあげる女教師が来て、もう西日に傾くころやっと、ここへ戻りました。
その女教師先生は、小さい女の子の世話を予約していたのですが、急にその子の小父さんという左官やさんが引とって世話したいということになりました由。六七人小僧をおいている由。さもありなん、です。別の子をもう一人当って見るということになりましたが、どういうものか。
多賀ちゃんが稽古に行ったって、よろしいのです、ただ一日じゅうきまって昼間は留守というのが、不用心で、それが閉口です。昼間しめておくと、例えばゴミとりさんというようなものが入れないから一回ぬけます。するとこの頃人不足で、間が永いからゴミ箱を見ると、このおユリが悲観するという哀れな状態になるの。閉口ですね。きっとこの春は空巣がバッコすることでしょう。四月から、うちも何とか方法を立てなければなりません。まだいい思案は浮ばないけれども。
それから、この近日うちに、私は種痘いたしま
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