っぱり小説には、小説にしかないものがあるということを沁々感じます。読むひとは、評論とはまたちがったものを見出すのですものね。云ってみれば、評論一冊の傍に『朝の風』のあるということに独特な哀憐もあるわけです、それが感じられているという事実を、私は感じてうれしいの。そして、それはやっぱり私たちの生活のゆたかさや具体的なものの一つをなすのですもの。更に思うことは、積極ないろいろの生きてゆく姿の面白さ、その真の真の面白さなんて、その幾分が果して文学のうちに再現され得るのだろうか、と。非常に優しい勇気のある美しい動作にしろ、それがその現実の充実した脈搏で描き出されるということが殆ど不可能と思えることだって存《あ》るわけですもの。
五日のお手紙に「朝の風」の着想や題材はユリ独自のもの、と云われていましたけれども、それだから、というところもあるの、おわかりになるでしょう?
九日のお手紙にあるサヨの生活条件がはっきりしていないというところ、あれは勿論作品として指されるべき点です。その点について、あれを活字でよみかえしたとき、私は大変真面目にいろいろと考えたのです、「乳房」との対比で。そして、その相
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