本には入れられません。むこうの本やが閉口というので。出たばかりで。あれをね、中心にして、一九三五年ごろの作品評や、これから又先の評などと合わせ、やがて一つのちゃんとした本にまとめましょう。そのときは、やはり「現代文学の十七年間」なりとすればいいわけです。これもなかなかいい題です。そういう目標で、たとえば、これからの『都』の「月評」もあれのつながりにおいて考えてかこうと思って居ります。
いろいろ学んだところについて考えつつ。
私小説か否かのよりどころのこと、そうだと思います。そして、自分が私小説をかいている(ここに云われている本質で)ということを云っていたのでもなかったの。
三七年の暮にかいてあったものは、「十四年間」のなかにその本質のところをより詳細にして入れたわけでした。あのときの面白さは、ヒューマニズムの問題です。文化の擁護のための世界の動きと、こちらでの変形についてどっさり書いていました。しかし、それは竹村のに入れられないのではないでしょうか。そこいら実にデリケートです。作家論とちがうところがあって。逆に作家論の面白さ、考えられますね。作家論から追究するの面白いかもしれませ
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