であっても私 からはじまって居ります。よしや多くの展開の可能をふくんでいるとしても、私 からはじまったということは文学の歴史において何ごとかであるのです。それが拡大され、拡大されてゆく過程で、ある永い期間、やっぱり自分を追求してゆきぬかなくては、本質の飛躍の出来ないところ、ひどいものねえ。
私がもしいくらかましな芸術家であったとしたら、それはつまり、あれをかいてみ、これをかいてみ、という風に血路を求めずやっぱり自分を追いつめて、やっとのりこす底まで辿りついたところにあるでしょう。十年がかりでそこまで自分をひっぱったところにあるというのでしょう。私小説が真の質的発展をとげてゆく道というものは、こんなにも困難な、永い時間を要することです。異った質としてはじめからあらわれる次の正統な文学世代は、この永い苦しい時期を知らず、真に新しいものとしてあらわれる筈なのですが、それは現れず、一層小市民的な方向での細分された才能があらわれているということは、考えさせられます。
(おや、きょうはおみこしが出ているわ、ワッショワッショイ、ワッショワッショとやっている声がして来ました。)
私の精神・感情には
前へ
次へ
全590ページ中501ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング