と永年思って来たけれど、今はそうばかり思えません。愛すということと好きということはどこかちがって、好き、という感情のつよいひきつける力は、意志以前のようで、好きだから愛してゆくという現実もこまかくみれば、好きなところが多いものだからいやなところや辛いところをこらえて、それをへらす努力をしてゆく、その心が愛というもののようね。好きだから愛す、そんな棒のようなものではないのね、人間の心は。愛は妻なら妻のいやなところに傷けられるときもありながら、只そのいやなところを憎まない、何とかしようとしてゆく、その心ですね。人間のいやなところというのは大変悲しいものね、好きなものがどっかにいやなものもっていて、ちょいちょいそれを出す。そういうことはどんなに味気ないでしょう。私はこうやって自分のいやなものは見つけたけれど、あなたのいやなもの知らないから、何だかこの頁の二行から三行にかけての感想が声になってきこえるようです。本当にそうだったでしょう? 一体になってゆくなりかたというものは、実に実に端倪すべからざるいきさつであると感服もいたします。縦横からなのね。これは、おくりものとしたら、画面にあるかげのよ
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