かったと思います。いくらかずつ、少しずつ自主的な芸術の意味がわかって、多々益※[#二の字点、1−2−22]弁じ、強固な柔軟性のあふれた美しいものになりたいことね。
昔の作家は自身の中に分裂をもっていて、本当の芸術のための仕事と、金かせぎと二通り分けて使いわけきれるものと思ってやっていて、いつも後者の現実のつよさに引き倒されて来ています。本質の劇《はげ》しい作家は、云わば何でも書きますが、それは書くべき方向と質とで一貫されていて、その統一の上に何でもかけばかくので、純文学的作品と通俗的作品との区別のあるものをかくのではないわ。雑文というものは、そういう統一のある作家はどんなときもかかないわけです。その点で荒れることもないわけなのは面白いところです。
作家と画家の交渉もこの点がやはり興味があって、たとえば尾崎士郎は「人生劇場」の美文的浪曲でそれなりになり、一政はそれに名コンビしたリリシスムとその他の何かはもっているが、その半面そこからぬけ出す努力も忘れないでいる。その相異が数年後にはどんなちがいとなってあらわれるか、そんなところ。
実に確乎としていて、よくしっかり構成されていて、しか
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