ものとして。そういうものとしての美感を心底に蔵しない者の妄動ぶりは塵煙りが舞い立つばかりです。道義的な善とはちがったもっと云わば高いもの。そういう立派な美の溢れた、命のあふれた小説をかきたいことね。
そのことについて一つ発見があるのです。
「杉垣」など、あすこでは主人公夫婦が現実に対して一つの態度をもっていて、その態度で世相の推移に対してゆくそのところをかいたの。一定の態度をもって生きるということは武麟のリアリスムと称するものにはないから、こしらえものだと云い、私は『帝大新聞』で、散文精神と云われているものが、現実のうちに立ちあがっている精神をもっていないことを云いました。
「朝の風」なんかかいて感じるのは、主人公たちが一定の態度をもっていて、それと照らし合わせる現象を対置した構成でかかれた小説は、局面局面に解答があるわけね。「朝の風」なんかは、心持のいろんな面の動きを追求しているその過程そのものにある態度と高さとがある。小説の面白さというものの本質はここではないでしょうか。通俗家は、シチュエーションでそういうサスペンスをつくるのですし、そうでない人でも本質的見とおしはもたない転々を
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