面白いでしょうね、たのしみです。ポツリポツリと『中央公論』にでものせてね。「当世書生気質」の逍遙の插画と長原止水の絵との時代的相異。明星時代と印象派の画家たち。自然主義と写実派の画家とはどういういきさつもなかったのでしょうか。漱石と青楓。龍之介と小穴隆一。尾崎士郎と中川一政。小島政二郎と小村雪岱(※[#「弓+享」、第3水準1−84−22]も入る、鏡花)。白樺と草土社。その他、おもしろいでしょう? 画家の画業の本質と代表的作家のうごきとをくらべてどういうモメントが結びつきとなっているか。たとえば、尾崎の「人生劇場」と一政とのくみ合わせは、一政の型のきまった抒情性と士郎の浪曲的感激との結合ですから。石井鶴三の「大ボサツ峠」のさし絵は、作者のあくのきつさのいい面がいかされてあの絵となっているし。
插画にばかりでなく、「白樺」と草土社のつながり、そこにあるセンチメンタルなものなどなかなか面白いと思います。画家の説明出来ないことが語られるわけでもありますし、道楽があるでしょう? これで私もなかなかなものよ。なまじっか、じかに絵の具をいじくるよりもっとよくばりなわけね。
音楽も、近代日本の音楽
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