のですが。アランは、でもその生活の必然から「五月の挨拶は」という詩は知らないのだし、ましてやそれが散文で猶且つどのようにうたわれ得るかを知らないのですものね。かんべんしてやらなければなりますまい。アランのうけうりをして、リアリズムとはと武りんさんの踵について走りまわる人々にも、この「五月の挨拶」のリズムは別の世界のものでありましょう。
 こんな詩をくりかえしくりかえしよみ、美しさきわまれば涙もおとして私はいろいろ考えます。自分たちがこれまでよんで来たいく巻かの詩のことについて。
 いろいろの時を経て、詩の具体性、象徴、リズムが段々高いもの、いよいよ複雑であってしかも率直な作品へとうつって、このみが育ってゆくことは面白いことね。そのことについて、きっとあなたも折々はお考えになるのではないでしょうか。少くとも私は随分度々考えます。
 四五年前、シャガールの插画のある詩集を私たちは愛読していたことがあったでしょう。あなたがおよみになり、私がよみ、又あなたへおくって、あれもよくよくよまれたものでしたが。今思えば、やはりシャガールの天井から舞いおりる愛の插画がふさわしい程度のものであったと思われ
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