本当に面白い。緑の梢の意欲は泉につたわって、波紋となり、益※[#二の字点、1−2−22]しげい水しぶきとなるのです。梢はその波紋を遠く近くとりかえされて緑の波濤のように自身を充実させます。日は高く、泉の白さ、梢の緑と光線の金色の諧調が、かけるもののない空気のうちに満ちる様子。
泉の自然の制約をそれなり美と感じ、しかも歎くこころをうたった数節は、ゲーテの卓抜な抒情詩にまさると私は思います。美しさは人類ととものもので、しかもその細部では質的にさまざまのニュアンスを深めるところは、云いつくせない味いです。目にもとまらぬような何かの動作、そこを詩人はまことに敏感に美ととらえて、「五月の挨拶は」というような愉悦と哀愁の綯《な》え合わされたソネットをかくのだから、たしかに詩魂は生活の宝です。うたう心は、人間が精神において真直に立った姿、現象を一旦整理した上での姿として、うたの心はあらわれるから、そこに慰安(コンソレーション)がある、とアランが云っているのも本当です。
文学論とすれば散文の本質を、訴える、かけめぐる、現実追随の叫びとして本質づけて、詩の心と対比しているところに、アランの誤りは在る
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