べて、さち子さんが来て一寸話していたら、元看護婦をしていた榊原さんというひと、私の切腹のとき手つだって貰ったりした人、あのひとが結婚しているのが半年ぶりに訪ねて来ました。来年三月にお母さんになる由。そしたら、女学校の五年生で、宮田アキという歌をよむ人の娘が来て(予約)いろいろ話し、皆で夕飯たべ、今皆ひき上げたところ。その十八歳の娘さんは絵をやりたいのです、女学校出たらつとめながら。いろいろそれについての勉強方法の相談なのです。お母さんは歌よみで情熱的で(歌人風な、のよ)アテネ・フランセという名も娘は今まで知らなかったというような状態で、たよりないのね。きっと。この間朝、女大のことを私にきくと云って(勘ちがえよ)母娘づれでかけつけて来て、その娘さん一人で来させてくれ、というわけなのです、我々の家庭での最少年よ。表の仕事手伝ってくれていた娘さんは二十で、お恭ちゃんもそうですから。この頃は絵を描きたい娘さんがまわりに出来て面白いこと。絵を描きたい娘さんというのは、小説をかく娘さんより一寸ちがったところがあって面白いのよ。楽なのよ、つき合うのに。それで一味通じるところがあって。だからよく作家は画家の友達を案外好むのね。そして、その好みに作家としての傾向が語られるところも面白いと思います。芥川:小穴隆一。明星派:印象派画家。漱石:青楓。私のはまだおたまじゃくしとまでも行かない娘たち。しかし、深沢紅子のローランサンばりや、三岸節子のマチスばりや、仲田菊代の随筆サロン画風には、ちゃんと健康な批判をもって、そして、どの子も人間を描くのが面白い、というところ、又面白い。そして、これはやはりその子たちの境遇の必然よ。だって、松下則子たちのアリストクラートのように冬は暖い海、夏は涼しい山という生活はないのですもの、常に人間のなかなのですもの。これも面白いことね、非常に女流画家の(特に日本の)歴史には新しい意義です。何故なら、これ迄の画家は、ほんとに女と云えば、花、景色、静物で、人間を描いたって藤川栄子などのように主として衣服の面白さを描いていて、ね。私はこの娘たちを楽しみに思って居ります。菅野とみ[#「とみ」に「ママ」の注記]子というひとの方は、本当の画家になる決心しているの。きょうのひとは先ず子供育てることが大切で、やれるものならやるのだから、デッサンだけは今からみっしりやっておこうというの。やっぱり自分の原則をもっていてなかなかでしょう? きょうのひとは石井鶴三に見て貰いたいと云っていて、それはいいわ。お父さんというのは彫刻家なの。技術でやって行けず、工場へつとめているというような彫刻家で、それでも知人としては娘の助けになる専門家も知っているというのでしょうね。
 自分が初めて小説の長いのかいていた時分を思って、セイラーを着てスカートふくらがして坐っている娘さんを見ました。私は紫紺の袴はいていたのよ。凄いでしょう? そしてね、毎朝ぐらい鴎外が馬にのってゆくのに会ったのよ。鴎外は馬の上からいつも何となし私に視線を与え、私はそれを感じながら、自分は一寸見上げて、下を向いて通りすぎてしまうの。鴎外が私を知っていたということはずっと後に父からききました。
 茉莉さんが『明日への精神』のいい書評を『朝日』にかきました。この茉莉さんは、美学の山田珠樹のところへお嫁に行って破婚になったのよ。大した大した結婚式してね。その山田の家というのは下町の大商人で、孫は(茉莉さんの子?)白足袋はかすという家風なのだって。そんな家へやる鴎外、大臣なんかずらりと招く鴎外、そこに鴎外の俗物性が流露していて、しかも娘は、湯上りに足を出して爪を切って貰うことをあやしまないように育てたりして。茉莉さんという娘は、自分の知らないことのために不幸にされた哀れな女です。杏奴の方はずっと自分の常識で、世間の仕合わせも保ってゆくような人。杏奴は絵よ。旦那さんも。茉莉はものをかく方なのよ、どっちかというと。ここにも何かのちがいあり。
 久しぶりにお目にかかって、寿江子はいかがに見えましたか? この頃すこし勉強で糖を出して居ります。でも大分落付いて、いろんなこと分って来て、追々ましです。ましになってくれなくては困るわ。
 好ちゃんはこの次はいつ頃訪ねて来るのでしょうね、きっと私の誕生日ごろ(二月十三日)来そうな気が致します。あの子は一種のかんをもっていてね、私のよろこぶときを自然に会得するらしいの、奇妙ねえ。
 おついでのとき、どうぞよろしくね。あなただって、たよりおやりになることもあるでしょう? どんな字をかいておやりになるの? あなたのことだから、きっとこまやかにうまい工夫をこらした生活法を話しておやりになるのでしょう。
 そう云えば、鳥取の手紙すっかりおそくなって。
「寺田寅彦理博の随筆物
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