ろいろな日常の動き。ひとへの心くばり。それについてふと消えたかと思うと、又きこえるこの顫音。私はそれにきき入って、それを愛して、そして、一つの顔にじっと目をおいているの。それは何と近々としているでしょう。私の指先が何とまざまざ感じるでしょう。
―― [#図1、花マルのようなマーク] ――
さて、私は一張のヴァイオリンのひき手のように、ここで絃の調子を変えようとします。幾分の努力で。
―― [#図2、花マルのようなマーク] ――
余り空気が乾燥しすぎているのが有害なのだそうですね、特に。お体の様子あらましわかって居ります。どうぞ呉々もお大事に。いろんな場合決して決して無理なさらないように。そのことからおこって来る結果について私の不平はありようないのですから。しかし私は心からいろいろが体にふさわしいようになることを願っています。これは全く心から願っていることです。私に出来ること、とあれこれ考えます。けれども、どうも見当がつきません。
[#図3、草の絵]
私がいそがしいので、多賀ちゃんもこのごろはいいおかみさんです。きのうなどね、こんなことがあったの。
何しろそういうわけでかえるのが大層おそくて、郵便局がしまってしまって為替来ているのがとれず。あわただしく又出かける仕度しながら、「困っちゃった、かわせのまんまよ、けさの五円はもう小さい小さい紙くずになったし、いやね」と云ってそのまま出て、かえりに更紗のさいふをあけて見たらカワセの紙がないの。おや落したかとすこし遑《あわ》てて見直したらね、小さく畳んだ十円が入っているの。いつの間の仕業でしょう。なかなかいいおかみさんではありませんか。ハハアと感服して、格子入るとすぐ、大いにほめました。「資格があるよ」と云って。しかし、ここに又微苦笑があってね、心ひそかにおもえらく、どうかこの娘も、こんな気のはずみがおこるような御亭主をもたせてやりたいものだ、と。それはそうですものね。やはり対手によりけりですものね。鳴らない楽器はひけない道理ですものね。
そちらにどんなカーネーションとバラが届きましたろうか。カーネーションの花にも匂いがあるのよ、御存じでしょうか。きのうは花をかえなかったけれども、机の上には、濃紅のバラが二輪あります。半開の手前です。
おひささんがこの間遊びに来ました。そして是非来てくれというので、二月八日に行く約束しました。龍宮荘というのへゆくのよ。面白いでしょう? 旦那君のいないとき、昼間行くの。そのアパートにもやっぱり鼠が出ます、「人がいても出ます」とよろこんでいるのよ、「ここと同じこんで」と。可愛い気質です。そして、あなたに重ね重ねよろしくとのことでした。お体をお大事に、と。でも、このことづては例えば昨夜のようなときも何人かから貰いますから、大変どっさりなわけなのだけれど。では又ね。本当に悠々《ゆうゆう》と、ね。どうぞ。
一月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月二十五日 第八信
きのうは電報をどうもありがとう。前便を出しかたがた市場へ、小樽のおばあさんにあげる手袋を買いに行っていたあとにつきました。本当にありがとうね。くりかえし、くりかえし、いろいろによみます。僅の字でもいろいろの声がして。ところが、それでもきょうは何だか病気のようになって午後まで臥《ね》ていました。風邪気のようでもあったのですが。何だか体じゅう切ないようで。ゆたんぽを二つもこしらえて背中と脚とあたためて、ひる頃妙なさむけはとれて、一時間ほど眠って、目がさめたらずっと楽になって、それから夕刻まで一気に仕事しました。何とおかしいでしょう。
御気分はいかが? 私の病気がうつらないように。肺炎が大流行です。そのための特効薬がないので死亡率は高うございます。私はチフスと肺炎では死んでいられないと思って用心です。きょうはそれで、午後から夜にかけての会は電報を打ってことわり、欠席。きのうだって九時そこそこに床に入ったのに。きょうもまたそうします。
多賀ちゃんはきょう帝劇で「早春」と「花のある雑草」という映画をみて来ました。ひとりで、切符が来ていたので。面白かったそうです。来てから初めての映画ですから面白かったでしょう。まだ芝居は築地の「建設の明暗」(中本たか子)だけだし。なかなか遊べませんね。いつかの手紙で申していた多賀ちゃんのとなりの娘、あれは来ないときまりました。工廠が出来るから村の内でいくらも就職できますからって。それはそうです。そこで、小学校の女先生の知り合いから、十五ぐらいの娘さんをたのむことにしました。夜の時間を勉強にやってやりましょう。お裁縫なり。これは多分できましょう。そしたら私も一安心。その子のおっかさんはどこかで働い
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