でも来やしない。
二十日からきょうまでに「行人について」(『新潮』)8枚、『婦人画報』のかく月の巻頭二十枚、学生の新聞のために石川の「結婚の生態」評七枚。それからこの「歴史文学について」二十九枚、十日に六十九枚はわるくないでしょう。どれも皆勉強のいるものでしたから大変でした。
歴史文学は本当に面白かった、鴎外、芥川、菊池の主な歴史を素材とした作品をよみました。露伴もよんだがかきませんでした。露伴は、歴史が常に権力に屈したものであるということを力説している、そして頼朝、為朝、蒲生氏郷など、なかなか面白うございますが、つまりは露伴流の人物論ですね。そして露伴の面白さも弱みも、彼が江戸っ子流の侠気と物わかりよさとをつよくもっているというところですね。彼が小説家としてねばりとおさなかった所以を過去の人たちは、彼がえらすぎるという風にいうが、そうではないわ。達観を主観的にしているからです。決して支那流の哲人でもないし、強烈な精神の独自性というのでもない。名人肌の一くせある爺さん(勿論内容豊富也)というところですね。ですから人物論としてのそれらの作品は、なかなか面白くて所謂膝を打って大笑す、というところもあるけれども、その面白さで彼は小説家でないことが語られているような工合です。
鴎外の「阿部一族」は雄大複雑な歴史小説で封建のあらゆる枠は枠なりに肯定したところで、その中での性格相剋の悲劇、君臣の臣の負担となるその結末、情誼が、人の生かしかた、生きかた、死しかた、死なされかたなどのうちに表現されなければならなかった姿を、武家気質の範疇での感情行為の必然にしたがってよく描いています。
しかし鴎外は、この時代の枠へ人間の心をこすりつけてはいないのよ。こすりつけられた人間の魂の熱さと重さとで枠がゆすぶれるものとは見ていません、その点彼の現実の順応性が実によく出ている。
このことは逆に「高瀬舟」で、白河楽翁時代の江戸の一窮民の遠島されるときの物語にある財産の観念及ユウタナジイの問題を、鴎外がいきなり一般人間性という自分の主観からとりあげているところにもあらわれていると思います。一窮民と扶持《ふち》もちとでは同じ時代に於て財産の観念は巨大にちがいますし、ユウタナジイのことにしろ、武家のモラルは楽に死なせてやる武士の情というものを承認しているのだから、庶民の男が罪せられたのとはちがった見かたもあったわけです、その現実の相異を、鴎外の主観は何と云っても身分的な差別は失っていて一般人間性のこととして見る丈歩み出していて、その進んだところに止った意味で限界の示されている面白さ。そこから、鴎外が歴史へ働きかけてゆく作家の目と心とを否定して、抽斎などの伝記ものをかくに到った過程はよく分ります、そして鴎外は歴史に向って作家としての手をはなしてしまった。
芥川はあくまで歴史小説をかいたのではなくて、主観の課題を「地獄変」や「戯作三昧」に表現したこと、しかも何故それを、例えば芸術性と社会性の問題の苦悩をトルストイの矛盾に於て描かず馬琴をとらえたか。そこにあるかしこさとよわさ。それが歴史の中に自分を把握させる力のなかったことと一致していて、歴史のたぎり立つとき、何となしの不安に敗北したということ。面白いわね。菊池のテーマ小説が、封建のしきたりに抗して生命への執着やその適応性や英雄打破に向ったことはプラスながら、彼にあってのその合理性は、世上云われるようにショウの相伝ではなくて極めて日本のもの彼のもので、合理性は自然主義のものをもっていて、つまりは常識のものであること、従って、芥川を死なさせた波は彼を大衆作家にしたという歴史とのかかわり合いの姿、こういう対比は大変面白くてヴィヴィドです。そしてユニークです。しかし、彼が徐々に大衆作家になりつつあるときは、日本の文学に質的な一変転がもたらされて、歴史を、寛のみたように個人の利害、ひょんなめぐり合わせ、など以上のものとして見る歴史を歴史として動く姿でかこうとして、「磔茂左衛門」や「綾里村快挙録」が生れたこと。現在の歴史小説とは、今日の現実とどういういきさつにあるか、つまり「島崎藤村」というような伝記小説の現れるのは、日本の文芸思潮のいかなる低下と喪失によるものか云々というのです。
面白くてとりつかれたようにかきました。近頃の快作。だから、きっとさっきぱっちりしていたのでしょう。
今月は半分はフラフラだったけれども、それでも実にこまこまと百十枚もかきました。種目は十二種よ。細かいこと。
大分あとへのばして貰うやくそくにして五月は、前に半分までかいてある古典読本の現代文学を六七十枚かいて、『文芸』のをかき終って三回分ぐらい60[#「60」は縦中横]枚迄、まとまったのはもうそれで、小説にかかります。『都』へ十日ぐら
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