ょう、そしてそれはよかったねとおっしゃるでしょう。
この前の手紙、たった四枚の、あれは手紙にも疲れが出ているようなのでした。書きながらそう感じました。
きょうはチョコンとしてよく眠ってぱっちりして、泉子をつれて、あなたの前へ坐っている、そんな感じ。この感じも大変面白うございます。
きょうはね、すこし仕事しようと思っているのですけれどその前に、すこし、こうやっていろいろの話。多賀ちゃんは今、動物園と有斐閣へ行っているのよ、動物園で面白いグラフィックを売っているの。それを病院にいる健造にやろうと思うの。あしたそちらからのかえりに。八人の子供たちがいるのですって、その部屋には。少年の心持で、初めて病院の暮しどんなでしょう。あしたはそのグラフと『ジャングル・ブック』をもって行ってやります。たべるものは分らないから果物(オレンジ)を少々だけにして。
このうちにたった一人、私たち二人きりの感じ面白く思います。二人っきりという特別の感じは、やっぱりほかのひとがいるとない感じね。こんなことを話している声の調子も何となく低まって、わきにいるひとにだけきこえればいい、そのひとにだけきこえる声でものを云っているといういい心持。これも親密な面白い感情。私は意味のない、それでいて深い深い心のある鳩のような声でクウーと云って見たい心持です。クウーと喉をならしながら鳩は膝から胸へ、胸から顔へ、クウーとよってゆくでしょう。それをうつひとはないわ、ねえ。
泉子の様子をお目にかけたいこと。少女から若い娘になって、紅梅のような風情でしょうと思うのですけれど。決してわすれずたよりよこします。ふーっとせき上げて来る心持があって、覚えずたよりよこすと云った風です。つつましやかで、しかも充実した横溢性をもって溌剌としているところ、いかにも女です。そして、あなたも御存じの、いづみ子のごく仲のよかった子、その子への心持も段々成熟して来ているのは本当に面白いところです。心の成熟というものは微妙ですね。幼い思い出ばかりにとどまってはいないのね。やはりきょうにちゃんときょうを生きているのですもの。全く近く、全くさながらそのように感じる瞬間をもっているのは不思議な心の力です。私は神秘家ではないけれど、それとは全く反対の現実の活々とした豊富さという意味で、例えばいづみ子がそういう瞬間の横溢の刻々のなかで成熟し、ゆたかにされてゆくことに驚歎いたします。彼女はもとからそうでしたが、やはり敏感です。愛に感じやすくて。よろこびが戦慄のように走るとき、何と上気して気を失いそうになるでしょう。ひき入れられるような身ぶりのとき、いづみ子が声ない叫びで微《かすか》に唇をあける様子、そのふれる感覚にまかせてゆく風情。非常に趣ふかく、昔の物語りの表現ではないがあわれふかい趣です。
本当にあなたが御覧になったら何とおっしゃるでしょう。ふりわけがみの幼なじみが今のいづみ子に会ったらきっとおどろき、そしてどんなに恋着することでしょう。彼女にとってそれは意外ではないのですものね。自分の心は知っているのですもの。このこの成長、美しくゆたかな成長はみものと思われます。
私はよく自分が女の芸術家に生れ合わせて、いつか何とかして、こういう微妙きわまる女のいのちの姿を描き出してみたいと思うことがあります。
岡本かの子はそういう生の力を或点やはり感じていたのでしょうが、その表現、その再現の世界は、謂わばそういうものに感動する自分の様々の姿を鏡にうつしてみて、我から我に惚れている範囲ですし。
アベラールとエロイーズの話、御存じでしょうか。この二人は二人で神のなかへ没入してゆくことで自分たちの愛の完成をとげようとした中世の男女ですが。かの子の世界でもなく、アベラールたちの世界でもない、リアルな情感の世界があるということ、そういうものも歴史のなかで発生していること、それが芸術化してみたいと思います。でもこれは大変むずかしいでしょう。そういう可能の諸条件というものは、作品のうしろにおかれ得ないでしょうから。単な人間性のゆたかさというものからだけ描けるものでもないのだし。
こういう美しさが立体的に描き出されてこそ新しい文学の溢れる甘美さはあるのでしょうけれどもね。
この頃かの子の文学の本質がわかるようです。彼女の小説は女がかいた小説ではなくて、小説の肉体は男の肉体での文章やコンストラクションや何か。いつか書いたようにあれは合作なのだが、その合作ぶりがね、妙な共通の感覚的渾一においてされていて、そういう精神状態でされていて、精神の歓喜像としての作品ですね。
文学だからこそそういうものも生れると云えるかもしれないのに、そういうものならそういうもので、何故あの夫妻は芸術家一体としての自分たちのそういう独特性に十分のよ
前へ
次へ
全148ページ中34ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング