点から云えるなら、その人は自分で自分をもっと責任的に律するでしょう。
 仕事の丹念さのこと。それで二十八日に生活費のことおききになったのね。心にかけて(そんなことまで)ありがとう。私は経済上の困難と人間的価値とは、特に現代の社会では別であると考えているのですから、その人に経済能力が奪われたって、本質がそのようなものであれば敬意をもってその状態が見らるべきと思います。儲けられるのに儲けないもの好きとか、ころがり込むところがあると思えばそんな理窟もこねている、というような人間のみかたには、一致出来ないのよ。おわかりになるでしょう? だからなるたけ無理はしないで倹約してやって行くのが一番自然でいいのです。
 一月からは当分小説に集注いたしますから外の仕事はのばして貰うようにします。小説を五枚―七枚ぐらいずつ一日にかいてためてゆくたのしさ。今からたのしみです。
 友情についての点。自然の条件の外に異性の友人をつくりたがる心は、遊びやの気持と紙一重ということは本当ですし、私のあの友情論は、そういう若いひとの漠然とロマンティックに描かれている友情という雲を、リアルな生活へひきおろして、恋愛と区別して、そして示そうとしたのが目的でした。その点できっと全体とすると、恋愛と友情とのちがうべきことを強調してあなたの云っていらっしゃるような同僚感と、更にその間でも私生活に交渉をもち得る人が友人であるという段々の区別は、明かにされていなかったのでしょうね。
 それに一般のこととして云う場合、この同僚感というものも、ずいぶん薄いものなのが普通のようです。只机をならべているというだけで、同僚感というような感情までないのが十中八九らしい。その何人かのうちでやや近い同僚感をもてるのが数人あって、更にその中の輪として友人があるのね。タワーリシチという言葉の訳の同僚というものは、若い女のひと一般には存在しないのではないの? だから同僚感というとき、その内容づけは、極く一般的な形で、同じところにつとめている人、同じ課に働いているひと、となってしまうのね。
 自分のこととして云えば話は勿論ちがいますが。同僚と友人、その区別は実にはっきりせざるを得ませんもの。そして何というか、ある人と人とをある時期が同僚として結び合わせても、その客観的な条件が変ってゆけば、それに応じて又変るのでね。そのことも何と動的でしょ
前へ 次へ
全295ページ中293ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング