た床やの時計を見たら四時なので、パンやへ行ったらもう列で、一人一斤半が最高です。パンその他のために列に立った経験を思いおこします、方向正反対でね[自注14]。
 私はお正月のお祝いにいつもこの重い体の下でよく役に立っていてくれる椅子座蒲団のおしゃれを思い立ち、上にのせる小さいのは鼠色地にこまかい花模様の。下のは赤無地。スフ三割入りの布地。それでもやっぱり綺麗になりました。
 寿江子がきのうから机の横のベッドにいます。風邪気味なの。もう大体いいのですが。私はこっちで仕事している。
 今夜と明朝と書いて、それでほんの暫く息をつくわけです。でも二月号の校了が七日頃で、やっぱり月初めはすっかりは遊べず。十日すぎにお恭ちゃん三四日家へかえします。大分ホームシックらしいから。
 二十七日づけのお手紙、きのう頂きました。文学史についてのこと。一貫した努力が本来あるべきであるという気持。主観的にはその流れを自身の内に感じ、責任も感じている、その筆者の心持から、云わばあれこれの現象へあの程度でも肉迫しているのだと思います。そして、文学の流れとしてそれを単純に表明し得ないところに、本当によみかえしての苦痛が在るわけだと思います。
「若い人」のあの評ね、あれは批評の精神状態の微妙さで屡※[#二の字点、1−2−22]思いかえされます。あれはあの人のおくさんと私とでよんで、変だ、変だ、と云ったのよ。勿論論文としてだけよんで。そしたらあとから、丁度あれが書かれていたとき、あのことが進行中であったのでした。こわいものね。うなずけるでしょう? この間もあの著者は、自分が自分の欲望にひきずられることについて云っていました。このお手紙に云われている分裂は常につきまとっています、そして、かつてのときのように表現されず、段々大人らしくやられてゆくことによって本質的に益※[#二の字点、1−2−22]その面は低下するのです。しかし決してそれを正面からとやかく云わせない構えをもって来ているから。でも私は、この頃はその人々の自主的なものにまかせるべきなのだということが分って、自分を省ること、自分がそれに馴れ合わぬこと、自分は益※[#二の字点、1−2−22]野暮にまともにやること、それを中心と考えることにして居ります、個性的なことに立って云えば、その人としての云い分はいくらだってあるのでしょうから。それ以上のひろい
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