う。生活の地平線から消え去る多くの姿が必然にあるわけです。
それからね、紙の質と国力の話ね、それからつづいていることね、あれを無意識に書いているということでは困るわ。あなたも大変おこまりでしょうが、私も閉口だわ。だって、そうでしょう? ひとりでにかけてしまうことではないでしょう?
画家が白いものを浮き上らすとき、白い絵の具をぬるばかりではなくて、そのかげにこい色を塗ることで、白を浮立たせなければならないときがあります。犬が犬だよと云われて怒るとすれば、猿ではないよというでしょう。
私はうそから出たまことということを文学論の「人間に還れ」についてだって深く考えます。題材主義のこけおどしに陥っていて、作家の内的な構造とはかかわりなく小説が製造されてゆくことに対して、題材万能から人間に還れということで、論者は人間生活として必然な現実にかえれと云ったつもりでしょうし、そういう風にしか題材主義が土台妙なところから出発していることを突くことは出来なかったでしょうが、しかしやはりそこには論者の何かがあらわれている、そういう意味でね。方便的表現のつもりのところが、いつか主屋《おもや》迄とられるという場合があると思うのです。ですからその意味では、舌足らずが混迷に導かれないことの戒心が実に実に必要なのね。自己暗示にだって人間はかかるのですものね。それが現代の試練だというのは真理にふれたことばです。〔略〕
でもこの間もつくづく思ったのですけれど、あのいい本、よみかえすのが苦痛であると云うにしろ、あれだけ明瞭であり得たということは、何と沁々と今日よりも二十五六年前の歴史の相貌を顧みさせるでしょう。現代の水の浅さはどうでしょう!
きょうはもう二十六日に出した速達見ていらっしゃるでしょうね。これは新年になってつくのでしょうか。そしたらおめでとうのわけだけれども。でもこれは今年の最終で、元日のは元日、それはおめでとうで初めましょう。もう三十日でもこの辺はひっそり閑としているわ。旅行にでも出るのでしょうか。階下でしきりに寿江の洟《はな》をすする音がいたします、家庭的(!)でしょう。では今年のおしまい、ね。
○おかしいおそなえ餅が組合から来ました。もち米七分づきのせいか薄黒くてね、日にやけた小坊主のようよ。
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[自注14]方向正反対でね――一九二七―三〇年のモスク
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