て、きょうもその気持はつづいて居ます。きっと一時で消えるものではないのだわね。私の生活のなかにずーっと交って、うれしい暖いものになるのでしょう。きのうはそれから神田の本やへ行って、すこし店が分らなくて迷子になり、校正をわたし、それから江古田の方の、私の先生だった女の国文学者のお宅へよばれて夜を過し、かえってお湯に入り、そのお湯の中で又新しく好ちゃんを思いおこし段々愉快になって、笑えました。いい月夜だったのよ、昨夜は。お気がついたでしょう? 月影は枕におちますか? それから床に入り、ぐっすりと眠って、けさは、ああああと何だか夏以来の軽やかな快活な心で目をさましました。
ああいう訪問の効果というものは不思議ね。こんな活溌快活な印象をのこすというのは。
あなたにもこんな訪問者をあらせてあげたいと思います。でも私はこう思うの、こんなに私が晴れ晴れといい心持になれば、それをよろこんで下さることで、おそらくあなたも幾分は愉快でいらっしゃるのだろうと。それにしても、きのう思いもかけないあの子を見たとき私が玄関のところで気を失わなかったのは見つけものね。
小説の功徳というものについて考えます。やっぱり小説には、小説にしかないものがあるということを沁々感じます。読むひとは、評論とはまたちがったものを見出すのですものね。云ってみれば、評論一冊の傍に『朝の風』のあるということに独特な哀憐もあるわけです、それが感じられているという事実を、私は感じてうれしいの。そして、それはやっぱり私たちの生活のゆたかさや具体的なものの一つをなすのですもの。更に思うことは、積極ないろいろの生きてゆく姿の面白さ、その真の真の面白さなんて、その幾分が果して文学のうちに再現され得るのだろうか、と。非常に優しい勇気のある美しい動作にしろ、それがその現実の充実した脈搏で描き出されるということが殆ど不可能と思えることだって存《あ》るわけですもの。
五日のお手紙に「朝の風」の着想や題材はユリ独自のもの、と云われていましたけれども、それだから、というところもあるの、おわかりになるでしょう?
九日のお手紙にあるサヨの生活条件がはっきりしていないというところ、あれは勿論作品として指されるべき点です。その点について、あれを活字でよみかえしたとき、私は大変真面目にいろいろと考えたのです、「乳房」との対比で。そして、その相
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