子初めて来たの。では、ね。

 十一月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十一月六日  第七十五信
 けさ、四日づけのお手紙。どうもどうもありがとう。
 表紙も心持よく思って下すって、うれしゅうございます。小磯という人にとにかくお礼の手紙出したら(本になったとき)奥さんからあいさつで、お粗末なもので、と何かたべものの礼へ答えるような文面だったのは面白うございました。画家の細君なのにちっとも絵画として良人の仕事感じていず、何か注文として感じているところが。家庭で仕事について喋る茶間の空気がそこに出ていて。
 世間の母がというところね。全くそうだわ、それはそうだわねえと心に語りました。栄さんがさっき来たのでやっぱりその話をして、本当にそうだろうと云い合いました。私自身にそれがいくらか分っていて、ですから本当に今度はうれしかったと思います。安心した、という一言にどれだけのものがこもっていることでしょう。私にはその全量が感じられます。そして、益※[#二の字点、1−2−22]ゆたかに大きくなって、安心をよろこびにまでしたいと願う次第です。
 お礼の手紙や一寸したおくりものへの答えは、ちゃんとあの当時いたしました。それは、お話したとおり。
 キュリーとナイチンゲールについて云われていることは全く当って居ります。あのとき、そのことについていろいろ考え、うまく書く方法を考えつかず、それに敗けて居ります。今になって考えれば、必しも書く方法が絶無ではなかったと思われます。その点はやっぱり弱いつかみかたでありました。フロレンスがああいう仕事についた時代のイギリスが、都市衛生について自身の安全のために関心を示さざるを得なかった、そのバックに立って彼女の活動も方向を見出したということは、どの伝記者も云っていないことで、フリードリッヒの英国労働者の生活状態についてかいたものからの勉強が助けとなっているのですけれども。
 働くひとの数のこと、この昭和四年一〇〇に対し女一一五・七というのは、繁治さんのくれた調査統計によったものでした。しらべておきましょう。どうもありがとう。誤植も玄人でもあるのね。岩波にさえあるのですからね、というのですものね。
「昭和の十四年間」について、どうかお心づきのこときかして下さい。あれは又五年ぐらいまとめ、ずーっとああいう風にかいて行って(つまり一貫した
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