歴史性に立って文学の移りゆきを見て。文学というものの育つべき方向と、そこからの乖離の姿とをはっきり見て)やがて昭和文学史としてまとめるのを楽しみにして居りますから。ああいう密度でずーっとかかれた文学史があったら、それはやはりそのものによって文学の進んだ程度が示されるものだろうと思いますから。あの仕事なんか、やっぱり永い間のかさなりで出来ているわけです。抑※[#二の字点、1−2−22]《そもそも》のはじまりは『昼夜随筆』の中にある、今日の文学としての三二―三七頃までの概観と、次はそれをふえんしてかいた百枚の未発表の昭和十二年までの文学史と、その上にあれがあるのですから。十二年の暮かいたのはゲラで十三年一月からストップとなったのでしたが下手よ、まとめかたに一貫したところがなくて。一貫しているが自分のものとなり切っていなくて。
 小説の集ったものからどんな印象を得て頂くことが出来るでしょうね。きっと、そこには、こちらにはあらわれていないいろいろの時代的苦悩がきっとまざまざと出ていて又別の感想をおもちになるでしょうと思います。こっちの方は、胸につまって来る息づかいを堪えて押し出しているし、そちらは(小説は)息のせつない姿そのままのようなものですから。
 河出の二千五百よ。こちらは早いこと。短篇集として二つつづけて見ると、やはりなかなか面白いでしょうと思います。重吉は初めてあなたにおめにかかるわけですけれど、あなたはどんな歓迎ぶりをして下さるでしょうね。ねがわくは肩を一つ叩いて貰える存在であることを。早く小説の方が見とうございます。
 母の心持になって、のこと。私は勿論それがそのように云われたことは知っているのよ。ただ、あのときユリはデリケートすぎて話が出来にくいと仰云ったような状態に私がなった、一つの私としてのあのときの心持の状態を説明していたわけです。そして、あのとき、そんなに変に敏感になっていたことは、前後のいきさつからだけの、あのときだけのことでもあるのです。ですから評論をかき、「三月の第四」のようなものをかき、そしてあれがある、その三つのもののいきさつの間に語られているもの、私が私という作家を評論するのであったら、この渦《うず》をこそ分析しずにはおかないでしょう。満腔の同情と鼓舞とを与えてやると思います。そこには分裂がある、などという皮相の結論ではありません。
 こ
前へ 次へ
全295ページ中240ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング