になるかもしれません。そうだといいけれど。ではひとまず。ああ、それから、種々な手紙が、どんな姿勢でよまれるか想像したら、大変あったかいような、ホコホコするような気がいたしました。
十月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月二十五日 第七十三信
きょうのむしあつさ、いかがでしょう、そしてこんな風! 今朝二十四日朝づけのお手紙ありがとう。
十五日づけのは又現れません。昨日で高山の「現代の心」すっかり原稿わたしました。きょう序文をかいて送ります。河出の『朝の風』、これ、あと『文芸』のをすっかりまとめると一応一段落となり吻っとして先へすすめます。「現代の心」やっぱりいい題ね、なかなかいい題ね。この装幀は松山さんにたのんで、ふっくりしたゆたかないいのを考えて貰います、柔い紙の表紙で。たっぷりした果物なんか面白いのだけれど。ただの図案より、そういう生活の中からのものを描いて欲しいの。
ああそう云えば『朝の風』の内容は、「朝の風」「牡丹」「顔」「小村淡彩」「白い蚊帳」「一本の花」「海流」「小祝の一家」です。相当つまって居りましょう。「海流」七十三枚か、「一本の花」八十何枚か、あと三十枚、四十枚というのですから、そんなに貧弱でもないし、かきあつめというのでもありません。このなかであなたの御存じないのはどれかしら。「牡丹」「顔」「一本の花」はいかが? 初め入れようとして入れないのは「心の河」、これはお話したとおり。それから「高台寺」、これは作者の生活的な稚さが、いやです。「街」もそういうところがあるが、「街」は人間のおかれている歴史への無知識にすぎず、「高台寺」は、ある生活にある女の鈍感さがあらわれていていやです。或る茶屋のおかみに今よめばうまく女主人公があやなされているのにそれを心付いていない鈍さがいやでやめました。「伊太利亜の古陶」もわるい。やはりその小市民風なつべこべを自覚していないで、それにのっている。面白いでしょう? そういう作品を生む生活がつづいて、やがて「一本の花」をかいて、生活への激しい疑問にぶつかっているのです。そしてその冬外国へ行っている。全集の中へ入ると、その過程として面白く、しかもね、そのいやな「高台寺」に、やはり「一本の花」及びそれ以後の動きの芽はあるのです。舞妓とさわいでいる、そんな気分についてゆけなくて、とりちらした室の
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