の働かせかたも面白いことですね。一般的事務家の普遍的な文化水準には達していて、おいこしているが故に文学上の優抜なエキスパートであるという、そういう文学のエキスパートも決して予想されなくはないのだと思うと、これも亦面白うございますね。気力で追いこしているばかりでなくね、もっともっと複雑にね。歴史の或る時代の姿としては十分にそうであった作家より更に幾倍かの複雑性をおりたたんで。
こんな気持の追求から、島田への自分の心持があなたの言葉で何となしはっとして会得される機会を生じたのは又おもしろいでしょう? ずっとずっと私は文学上、生活上、自分の努力というものを自身どう見ているか、どんな心をそこから養われて来ているかということを考えつめていたら、努力の努力だおれもわかるところがあったりして、いろいろ思っていて、あなたの仰云ったことが極めて純粋な心の要素として語られていることが、自分の心のこととしてぴったりわかったのでした。それもあったもんで、ユリが、自分の気持を合理化ばっかりしているようでは云々と、一昨日おっしゃったとき私は切なかったのよ。でもあとで又考えてね、切なく感じたなんて、やっぱりまだどこかで自分を劬っている根性があるんだナと思って。
あのときについて私は一つの大した疑問に逢着いたしましたが、大人の女のひとってものは、眼に涙が一杯でアブないときでもべそはかかないものなのかしら。可笑しくて、可笑しくて。不思議ねえ。だって、どんな小説だって、彼女は段々赤いふくれた顔になって来て、べそをかいて、涙を目にためたなんてかいてないわ。白いような顔を怨ずるが如くうち傾けて将にこぼれんとする涙をいっぱいに湛えた目で彼を見る、のよ。大変優艷なのよ、変ねえ。全く。私もどうかして、一度はそういう凄い涙の湛えぶりをしておめにかけたいものだと思いました。しかし或はそういうことにもやっぱり歴史性があるのかしら。あるのかもしれないわねえ。怨ずるが如く、という感情の土台がないと、べそになるのかしら。子供はどんな泣きを泣くときにもべそをかきます、何だかおもしろい。ちょいちょい泣くて[#「て」に傍点]を知っている女のひとは、いろんな涙の出しっぷりを修得しているのかもしれないわねえ。オンオン泣いてはて[#「て」に傍点]としての技法の効果をこしますものねえ。もしかしたらあした又十六日の分への御返事かくこと
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