ードが死んだときの)はしらみと南京虫が伝播したのだそうですから。
 この紙のひろさは、たとえ1/30[#「30」は縦中横]なりとも、というお手紙だと思い、くりかえしよみ、そして又いまもよみます。
 作品と作家とのいきさつについての物語、それから詩のヒローに単純な呼び名がつけられる面白さ、可愛さ。全くすこやかさは目に浮ぶようと云われているとおりね。健やかな情感とすこやかな理性というものは、実に実に人間の生存の核心の発育力だと思います。そして、昔の人のようにその二つのものが二つの分れたものとしてはなくて、すこやかな情感はすこやかな理性に生活が貫かれて居り、そのようなすこやかさを理性が確保するのは、それにいつもすがすがしく新しい血をおくる感情の、人間らしいすこやかさがあるからであるという関係。そういう人間らしい弾力と暖かさと面白さのあふれた小説がかきたいことだと思います。
 一昔前脱皮の内面が描かれるべきであったということは非常に意味のふかい言葉だと思います。「広場」ではじめていくらかそれにふれているわけです。しかし、あの時分に描かれるようには描かれず、従って、そういう作家の発展が、日本文学の中にまるで新しい一つの典型となっているという興味ある歴史の面も浮彫られず、読者の感覚からそのような感受性も喪《うしな》われていたりして。惜しいと思います。今日にあって、勿論、一生懸命さを否定しはしないのですし、一生懸命倒れということも、例えば内面的過程を描いてゆくそのことがとりも直さず最高の歴史的な文学のテーマにこたえていることだと思って、それを自分もひともはっきりつかまず、そういう一体の若さがあって、作品でそういう世界をとらえつつどこまでもアクティヴに生きてゆくという統一が、私などの場合では、自身の未熟さからも出来なかった。そして、いきなり「信吉」のようなものをかこうとして、そして失敗している。そこがなかなか面白いのね。文学の成長の過程は何と各自各様でしょう。一つの大きい動きのなかで、自身の成長の段階をとばさずに踏んで大局のためにプラスとなってゆく、そのように作家を育ててゆくためには、大した経験の蓄積が入用なのね。大人であることが必要なのですね。
 そんなことにつけてよく思い出すのは、万惣の二階のサンドウィッチの話です。あんなに自然にあの味を味った心理というものも面白いことね。私は
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