面白いでしょうね、たのしみです。ポツリポツリと『中央公論』にでものせてね。「当世書生気質」の逍遙の插画と長原止水の絵との時代的相異。明星時代と印象派の画家たち。自然主義と写実派の画家とはどういういきさつもなかったのでしょうか。漱石と青楓。龍之介と小穴隆一。尾崎士郎と中川一政。小島政二郎と小村雪岱(※[#「弓+享」、第3水準1−84−22]も入る、鏡花)。白樺と草土社。その他、おもしろいでしょう? 画家の画業の本質と代表的作家のうごきとをくらべてどういうモメントが結びつきとなっているか。たとえば、尾崎の「人生劇場」と一政とのくみ合わせは、一政の型のきまった抒情性と士郎の浪曲的感激との結合ですから。石井鶴三の「大ボサツ峠」のさし絵は、作者のあくのきつさのいい面がいかされてあの絵となっているし。
 插画にばかりでなく、「白樺」と草土社のつながり、そこにあるセンチメンタルなものなどなかなか面白いと思います。画家の説明出来ないことが語られるわけでもありますし、道楽があるでしょう? これで私もなかなかなものよ。なまじっか、じかに絵の具をいじくるよりもっとよくばりなわけね。
 音楽も、近代日本の音楽のうつりかわりを文学の方からみると、これまた面白いと思います。寿江子がもうすこしものがわかって来ると、面白いでしょう。
『明日への精神』千増刷いたします。でも、あわれ、三倍以上の借金がありますから、雲霧消散[#「消散」に「ママ」の注記]よ。先のとき又きくように、程々には水をやって手入れしておかなければなりませんからね。四冊本が出て、ひととおり片づく算術です。まことにいそがしい足し算、ひき算ね。「基礎」は三度ぐらいよみましたでしょうね。しかし、いいものの味は、自分の長成[#「長成」に「ママ」の注記]とともにわかりかたも育つ故、年々歳々|新《あらた》でしょう。
 十月の十七日に何のお祝してさしあげましょう。いい写真帖をあげたくていろいろ考え中です。今年はいつものようなこと出来ませんようです。栄さんのところはマーちゃんという娘が胸の方本ものになったらしいし、戸塚はふらふらしているし、そのほかのことで。いずれお話いたしますが。いっそ、寿江子つれて国府津へ行って二三日(十七日を中心にして)いて来ようかとも思ったりして居ります。てっちゃんが招待してくれると云っているのですが、何だかすこしちぐはぐな
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