う思うの。そして、文学の悪時代、出版の悪時代にめぐり合わせて、あの娘さんそのものが大分大した要素もあるらしくて、「藪入り」なんか最もましな部分の流露です。「今かくことはいくらでもある」「じゃ書くことがなくなったらどうするのかね」「そしたら小説家みたいに、嘘かいてやる」悲しき問答でしょう? 文学と云えば直木三十五しかよんだことがないというのをカンバンです。素人文学というものがここまで悪用されるとは川端康成も思わなかったでしょうね。先生という人たちものすごいのよ。新協で上演しようとしたら、先生第一声は「儲かりますぜえ」であったと唖然としていました。二十歳ですからね、私なんか、その娘さんのひととなりをきかないうちは、いろいろ心で思っていたが、今はいささかこわいと思って居ります。先生というのが政治家(この頃流)ですし。娘さん、何だかとんだ娘というところもあるらしい。
 高山の本の題、やっぱりでしょう? 一寸どうか、ね。今ほかの事で頭いっぱいで考えられず。
 外国の婦人作家のこと、永い間の仕事として面白いと思います。でも作品を一とおりよむのも、エリオットなんかあるけれども、ほかの作家のもの手に入れがたくてね。ドイツ、ロシアの作家たちも面白いわ。ロシアの過去の婦人作家というのは、妙な芸術至上主義者やギッピウスのようなシムボリストなどで。婦人の積極性(文化上)は、ああいう文盲率の高かったところでは一方ではそうなり、他方では「フ・ナロード」となるのね。一七年以後小学校の教師をしていた人が先ず文学的活動に入っていて、それも文化の上で考えさせます。ドイツの婦人作家は、ちっともしらなくて、ロマンティストのフーフ一人です。このひとの本は『ドイツ・ロマンティシスム』岩波から大した難解のが出て居ります。
 それとは別にね、この間、津田青楓の会に行ってふと思ったのですが、日本の文学者と画家の交渉を、文学者の内から文学の動きのなかから見て、画家と文学者の推移を描いたものは日本になくて、しかも或る種の文学者しか出来ない労作であって、大変面白いと思いました。私は画と音楽がすきで、普通よりはすこしわかるのよ、ですから、それを河上徹太郎のように、他の芸術分野へ、そのまま歩みこんでしまうのでなしに、どこまでも文学・作家という本筋からはなれず、そういうところからでなくては分らない課題をとってゆきたいと思って。
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