事にうちはまってゆく時代が再び来るというのは、面白いわねえ。刻苦ということがわかって来る時代、一つのアスピレーションではなく刻苦ということが仕事の上でわかって、おのずから楽しみとなる時代。
 私は早く完成の形をとる人間ではないから、えっちらおっちらね。
 この間、津田青楓の六十一歳の還暦祝があってよばれて行って、洋画の大家たちというもと[#「と」に「ママ」の注記]を近くから見ましたが、文学の人とちがうものですね、洋画でああなら日本画がどの位鼻もちならないものかとびっくりしました。画かきは直接社交的買い手と接触する、安井さんのような肖像画家は名士とばかりつき合うから、何だか大した先生になってしまうのね。鍋井克之は一寸面白いひとです。皮肉も云うところがあって。安井というひとの顔を見て、ああこういう顔のひとがああいうのをかくかと面白うございました。画の中の人のとおりよ、面が多くて、黒い眉して、頬ぺたのよこのところが珍しく赤くて。面と色彩とが錯交していて。石井さんはぼってりで、そういうてがたい教師風の絵だし、鍋井という人は宇野浩二の本でもああいう線の細い淡いような、そこにつよさのあるような風だし。
 私は、芸術家に還暦なんかある筈がないから若がえりのお祝だろうと思うということと、この画家が明治からのいろんな文化の波を反映して来たことの独自さを一寸話しました。門の木犀が咲きましたから、せめて匂いを、と思って、花を入れて封をするのよ。では又。

 十月四日(消印) 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十月三日  第六十七信
 きのうあたりからしきりにそちらに行きたい心持がいたします。でも、それに抵抗するようにして机にねばって居ります。こんな気持、子供らしいような。けれども一週間てこんなに永いのでしょうか。随分奇妙ね。たった一つの、土曜日から次の月曜日までとお思いになれて? きょうは木曜よ。
 この前の手紙、丁度これから女のひとのためのものを二十枚かくところ、というときでしたと思います。ロマンティシズムのことかくと云って居りましたろう。けれども、この問題は別にすこし深めて面白い課題となりそうなので、少年から青年にうつる時代の少年少女の心の様々のたたかい、よろこびと悲しみとを描いた文学についてヘッセの「車輪の下」を話のいとぐちとしてかきました。今、「たけくらべ」なんか随分
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