れは問題であると思います。
幸田露伴という人は、紅葉と対立して一つの理想を人生と文学とにもった男で、この頃の爺さんぶりなどなかなか立派です。その露伴が、いい人柄でいて何故小説はかかなくなったでしょう。一種の哲人になって、何故作家でなくなったでしょう。
バックが、あの「心の誇り」のような限界をもちつつ何故あなたにも評価される価値をもち得ているのでしょう。非常に複雑な問題がここに私についての具体性としてかくされていると思います。
ずっと婦人作家のことかいて来て、いろいろ考えます。そしてね、十一月の小説から少くともこの問題を、作品をかいてゆく現実のなかで自身に向って追究しようというわけです。面白いでしょう? 私はひとからいつも明るさと一貫性とでほめられますが、快活であるということは、私が苦しまず、悲しまず、憤らずにそうあるのではないわ。極めて複雑なものが統一され得る力をもっている、それを単純化して表現するだけであるとしたらつまらないと思います。そうでしょう? 私は計らず、評論で(理論家的素質からではないが)私らしい仕事まとめたから、小説を一つこのレベル以上に出そうと思います。
「山の英雄」のなかのあの文句、あなたも心におとめになったのね。「自覚した鋭い正直さ」バックは面白いわねえ。阿部知二なんかこれをでんぐりかえさせて(日常的な意味でさえ)存在しているのですものね。日本の多くの作家は、これだけ鮮明な表現で、日常性に立つ正直さをも把握していない方が多うございます。お手紙で云われているような意味では云わずとものこと。正直などということを道義的にしか感じられていないでしょう、ごく俗情に立っての。
文学の根蔕はこの自覚された鋭い正直さ、ですね。
本当に、この頃は疲れがへって、何とうれしいでしょう。汗のひどさなんて、人に云ったってうそかと思うでしょう。このごろは八時間労働です、平均。
流す汗にもいろいろという話。それは全くそうね。ここにかかれている夏の詩譚は大変美しいと思います。思わず渇いた喉をうるおすつもりで、というところ、あのところのリズムには、樹かげの谿流が自身の流れに溢れながら、そこに映る影をまちのぞんでいる風情がまざまざと響いて居りましょう? 谿流にはかげをおとす樫の梢もあるという自然の微妙なとりあわせのうれしさを、何とあの作者は真心からとらえてうたっているで
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