しょう。
 それから、もう一つの秀逸は、雄大な真夏のスロープの彼方に、かなたこなたと眺めわたされる丘々。という叙景の部分。スロープはこなた樹かげこまやかな谿谷に消え、かなた遙かに円き丘々。爽やかな夕立は歓喜の雨脚を輝やかせて、丘々をすぎ、スロープをすべり、谿流のせせらぎの上に更に白銀の滴々を走らせる、というあたり。旺《さかん》な夏の風景が実に匂い立つばかりです。
 私はちっとも詩をかかないというのは、どういうのでしょうね。文学の初歩によくかくでしょう。私はいきなり散文詩でした。それでも私の文章にリズムのないことはありません。メロディーもあります。決して音楽的でないことはないでしょう? 私はただの所謂散文家ではないつもりよ。プロザイックなどというのは文学精神の荒廃であると思います。散文の精神というのは現象追ずいではない筈です。
『明日への精神』検印しました。紙がなくて五千が三千になったから大打撃ね。どの位の定価か存じませんが。高山書院というのから出る文芸評論集は三千五百位の予定の由。題何としましょう、「現代の心をこめて」というのがいいというのだけれど。わるくはないのです。でもすこし。それにカッコして文芸評論とあると心をひかれはしますでしょうね。目下考え中です。中公、紙不足で、原稿が手に入ってから半年もかかる由。ひどい話ね。しかし金星堂のだって略《ほぼ》その位になります、だからなお早くやらなくてはね。
「諸国の天女」は、つい先日手紙が来て、ずっと私のかくもの、細かいものもよんでいました由。強い[#「強い」に傍点]という性格だけのことなのでしょうか。
 この頃は、文芸家協会再組織、評論家協会再組織、あちらこちらです。会員であることには変りなし。
 さて、例の表。中途になりましたが、九月三日以後きょう迄ね。
  甲四  乙十五  丙四
 ああ一頁、一頁。やっと十八頁、ごめんなさい。全くこれはつらいわね。血をはくホトトギスよ。全然同情お出来になりませんか、それとも少しはお出来になって? ところどころでは女学校の代数の時間のように切なくなります、あなあわれ。そして、一番私の血肉になったのは「空想より」と「家族」、それから「デュ先生反駁」などであったと思いますというと、がっかりなさること? でも一方から云えば、実に明快ね、なんて云ったら大うそですし、ね。
 あした参ります。ではも
前へ 次へ
全295ページ中200ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング