いて下すった手紙、けさつきました。
どんな遠くの国から遙々と来たのでしょうね。こんな手紙、こんなリズムのこもっている手紙。はるばると来た手紙。くたびれもしないで、新鮮な香りをこめて来た手紙。
私は今晩一晩、この返事にかけましょう。ほんとにそうなるのよ、たっぷり一晩の物語。
あのエハガキの文句は、全く省略してあって、おわかりにならなかったのね、それによみちがえてもいらっしゃるし。或は私が書き間違えたのかしら。どうしてだか、ではなくて、どうかしら、この頃なら、ね、というのでした。あれをかいたときは、一しきりかいて、すこしつかれて椅子のうしろにもたれて、一寸うしろふりかえったらベッドがあって、もしそこに一つの顔があったらば、と急にこみ上げて思った勢でかいたのでした。あなたは私がうしろにちょこなんとしていて、仕事なさいました。でも、私にその芸当は出来なかったから。となりの部屋でも、何だかときどきおまじないを頂きに行ったでしょう? そんなこと思いあわせて、今の気持、こんなに互の生活に馴れている気持ではどうなのかしら、たとえばうしろによこになっていらしたら私はどんなかしら、仕事出来るのかしら、出来そうでもあるけれど。そんなことを考えたわけでした。寿江子なんかはこの頃うしろにいても、じっとさえしていれば、普通の仕事は出来ることもあるので。面白く思ったのでした。だってこの頃はあなたの体の中にはいりこんだ邪魔ものとさえ、あなたが其を持ってやっていらっしゃるように私も馴染んでいるのですものね。
一葉については明治二十九年来百種ばかりかいたものがあるようです。でも私は、そういう文献学的跋渉はしないで、いきなり作品と日記とその時代の生活全般とのてらし合わせで話しをすすめました。五十九枚かいてね。『文学界』のロマンティシズムと一葉の、互に交叉し合った旧さ新しさの矛盾、ロマンティシズムそのもののもっていた限界の頂点で一葉の「たけくらべ」の完成と賞讚とがあったこと、彼女のうちにあるいろいろな常識の葛藤など分析しました。
きのうきょうは、そのつぎのロマンティシズムとして晶子、『明星』のロマンティシズムのこと、二十三枚終り。『文学界』のロマンティシズムは、日本の恋愛は痴情であるという観念に対してダンテ的愛を強調したけれど、『明星』のロマンティシズムは肉体の権利と高揚とを肯定して、一つの推進
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