誰もはかかないものになってうれしいと思って居ります。よかったわね。それに、これをやったために図書館で準備的な調べはやれる習慣がついて、私としては大しためっけものだと思います。何だか心づよい。一昨年は本が買えないということで、やっぱり生活の気分を圧せられました。ここも新刊は不十分ですけれども、それでも自分がしっかりテーマをつかみさえすれば何かは出来ます。そういう自信は小さい小さいことですが、でもやっぱり一つの生活上の実力よ。なるほど、こういうところなのだナと現実の生活力というものについて考えます。
 私の前にいるのはクリーム色のブラウスをきた娘さんで、女子医専か何かのひとらしくドイツ語の文法をひっぱって一生けんめい作文中です。右のとなりはおとなしい日本風の娘さんで、キレイにキレイに何かノートとっていて、一寸字を間ちがえるとナイフで削って、ひょっと見るといつの間にかつっぷして眠っているの。おとなしい動物らしさが可笑しいような、気持わるいような。
 お恭ちゃんの兄さんが、自分の働いている村の健康調査の仕事をまとめてレポートをつくりました。それを貰いました。農村の生活事情の分析を土台として、結核の状態、乳児の状態などしらべてあって、二年半の仕事の結果としては十分評価してよいもののようです。なかなかがんばりやなのでしょう。お恭ちゃんはこの兄さんが好きで崇拝しているのね。だから兄さんのいうとおり私のところへも来たのでしょう。いい子だけれど、すこし猫の子で、自主性が足りないの。熱血的よ。面白いでしょう? 来年ぐらいになったら、英文タイプをならうのですって。兄さんの関係で結婚の対手はお百姓さんではないでしょうから、それはいい細君の役にたつかもしれないから。
 きょうは夕刻までここにいて、夕飯は林町でたべます。開成山からかえりましたから見て来るの。あっちはお米一日に二合七勺で、豆類は一切輸出禁止です。だから名物の枝豆もおみやげになりませんでした。この冬は一人一冬炭一俵の予定だそうで、そちらの生活と平均されて来るわけです。表、今ノート忘れてかけず、この次。この次はじきかきます。汗が出ないのは何と楽でしょう、ねえ。ブロッティングが古くてクニャクニャ、おやおやこんなにすれてしまって。

 九月二十七日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 九月二十七日  第六十四信
 二十日にか
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