交渉は非常にふかく、あの時代のロマンティシズムが生み出したひとと作品ですね。「たけくらべ」などは実にその典型です。そして『しがらみ草紙』の鴎外その他が早稲田文学派(自然主義に追々うごきつつあった)に対してロマンティシズム文学のチャンピオンとして一葉を実に押し出しています。一葉はこれらの人のほめ言葉に「ほめることばしかないのか、あやしきことなり」と云っています。あの時代のロマンティストには「たけくらべ」の美の古さ、新しさ、そこにある矛盾は彼女に向って分析してやれなかったでしょう。勿論一葉にはその力がなかったわけね。半井桃水とのいきさつも、何故あれほどの女のひとがあのひとにと云われているけれど、一つにはあの中島歌子の塾の貴族性にいつも反撥し、とけこめずにいる一葉の庶民的なものへ引かれる心もあったのでしょう。安心して貧乏ばなしが出来るのもよかったのでしょう。十五から二十五までの十年は、どんな女でも、男でも、何と圧縮された多くの経験を重ねるでしょう。この年の間にどう生きたかということで、その人の一生がきまるようね。今度一葉をかいて、しみじみと感じました。この時代に何かどっかどうかでないものが、後年何かであるということは決してないように思えて、面白いやらこわいやらです。
きょうは、三十年から四十年までの間をすこし、かき直したくて。その下ごしらえ。
きのう『明日への精神』の出版届けかきました。やっと出るのでしょう。あの黄楊《つげ》の印、覚えていらして? 出来たとき手紙に捺してあげたの、覚えていらして? あの字。あれを捺すのよ、どれにもこれにも。黄楊は丈夫な木で、かけないそうです。そして、それは女の櫛になります、黄楊の小櫛。
けさは、めをさまして、しばらく横になっていて、秋の朝の気持よいしずけさ、明るさ、すずしさをしみじみ感じました。そしてね、「朝の挨拶」という詩を思い出しました。朝、めのさめた子供が、活々とした顔をうごかしてまわりを見まわし、遊び仲間を見つけて、朝の挨拶に出かけてゆく、その足どり。それから訪ねられた女の子が、まだすこし眠たくて半ばうっとりとしながら一声一声に段々溌溂と目をさまして来る上気せた頬っぺたの朝の色。いろいろそういう描写を思い出し、やさしい心いっぱいでしずかに空を眺めている秋の朝と、そこから又別の詩がわくようでした。
この婦人作家の仕事は、本当に
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