して、女は文学の仕事をしやすいと云っている。小さい帖面を茶の間の台所の隅においても出来るから、と。それが(文学が)どんなに女にとって大したことであるかという事実を、明治以来七十何年かの歳月が証明しているわけでしょう。文学的なひとというのではなくて、文学の教養をもった人という人です。文学のこととして一葉がああいう扱いをうける必然もわかります。一葉は小さい手帖でちょいちょい文学が出来るとは考えなかったのですから。

 九月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(モーアランド筆「救助」の絵はがき)〕

 九月十四日
 きのうときょうは秋晴れらしいいい天気ですね。うれしい報告いたします。やっぱり糖は出ていません。可愛いわね。私のこの丸っこい体。その内のからくりは、案外に精良なのかもしれませんね。糖がないということは一番うれしいことです。うれしいから一寸ハガキかきます。
 稲ちゃん呉々もよろしくと。微熱を出して居ます(稲ちゃん)大切にしなくては、ね。

 九月十六日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(ジオラマ筆「墨堤より鐘紡を望む」の絵はがき)〕

 九月十六日夜。まだ九時半ですが、すこし疲れ、もうねて、あした一寸そちらへゆけるようにしたいと思っているところ。熱中して一葉の補をかいて居ります。なかなか面白い。そしてね、一息かいて、椅子の背にもたれるとき、ああ今一寸そっち向いて、向いたところに顔があったら、と思います。寿江子がいてもかけるけれど、どうかしらなど思いながら。ほんとにどうかしら、この頃なら、ね。

 九月二十四日(消印) 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 九月二十三日  第六十三信
 今上野です。お祭日で、上野は天王寺の墓地へお参りする人ゾロゾロよ。そして、この人通りは黒い紋つきをきたお婆さんや、赤い洋服を着た孫づれというのですから、動きは到ってまちまちで、あぶなっかしい賑いです。すいていると思ったらなかなかの人で、本を出して貰うのに一時間も待ちました。今度は何と御無沙汰したでしょう。九月十六日づけのお手紙十八日に頂き、十八日の速達は夜おそくつきました。そのことはお話しいたしましたね。きのう一葉を終りました。六十枚かいてしまった。ああいう風に偶像化されている人のことは、やっぱりついこまかに見てしまうものだから。あのひとと『文学界』のロマンティストたちとの
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