ぐり出して、よんでゆくようなわけですから。それでも、ここにはやっぱり面白いものがあります。男が仕事と家庭とを二つながらなくてはならないものとするように、女も生活力のつよいひとにとっては、仕事も家庭もいる。その自然であるべきことが、自然として世俗の通念に納得されない。その葛藤です。人間同士の理解には限界のあることをバックは結論としています、しかし彼女はその狭い主観的な輪が、歴史のなかでひろげられてゆくかくされた可能におかれている点は見落しているのよ。最も発展的な人間性の可能を、その意味ではつかめないのです。
 バックさんの遺憾事はいつもここのところにたぐまっています。同時に、私は文学――人智一般についても云えるが、――ノーベル賞そのものの限界もおのずとあらわれていて、実に興味ふかく思います。ノーベルはノーベルね。人間の可能性の率直な見とおしにはたえないのよ。そこまで歴史のなかの人間を評価する力はないところが面白い。「愛国者」もおしまいにゆくとこんがらかって「大地」のどこかへとけ込んでしまってね、「しかし土地があります」(都会がこわされてしまって何一つなくなったとしても)そこへ妻子をつれて来て暮しますという、そういうところへ主人公が行きます。バックの作品からこの頃感じるのですが、バック自身非常に自然力をつよく内包しているひとですね。ヴァイタル・フォースのきつい、それに導かれてうごくそういうひとね。そこに「母の肖像」のような美、「大地」のような力が湧くのですね。同じものが「愛国者」のようなものになると、所謂インテレクチュアルなものの限界があらわれて来て、本源的に「大地」へくっついてしまうのです。作者一人は何と複雑でしょう。
 私は一人の作家として自分のヴァイタル・フォースのあれこれのからくりを、どの程度見きわめているでしょうか。
 でもね、面白いでしょう? あなたはきっと微笑なさるわ。そういう点と、この手紙のはじめの方にかかれていることとは、どっかで大変結びついているのよ。丁度あなたの文芸評論と、今ここで私の前にひろげられている手紙とが、どこかで全くむすびついていると同様に。
 そうよ、文学の神通力というものは在ります。文学そのものは、そういう力をもって居ります。
 この頃は、いろいろもとから在った団体が解けて一つの別のまとまったものになるのがはやりで、雑誌協会その他が一
前へ 次へ
全295ページ中192ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング