いうのはいつでしょう。昔というのはいつだったのでしょう、そう考えて何だかあわてたような気になります。
 ほら、動坂の家でね、私たちは、自分たちの新しい生活のために仕事が少しでも遅滞してはいけないと思って、随分辛がりながらよく夜中おきては仕事いたしましたね。あの、いやな緑茶を濃く濃くして呑んでは。それとつながった気持から、やっぱり私が別の考えようをしていたということは、はっきり思い出すことが出来ますけれど。
 ここに云われていることは精髄的な点です、ただ一つののこりものを光栄あらしめる本質です。これは私にきわめて明瞭な感覚です、一般的な動物的な欲求ではないのですものね、土台。ほかならぬ一つの心と肉体以外に連関のあることではないのですもの。私は舟橋聖一ではないから、ヒューマニティというものを動物的なところまで、煩悩までは包括して考えられませんもの。それにしても、こういうゆたかなモメントがあって、お互がお互の内に全くるつう[#「るつう」に傍点]になる心持は、何といい心持でしょう。何と一層緊密でしょう。全くたばでしょう? まるでまるでぴったりでしょう? 泣きたいほど、そうね。私たちにもたらされたこの深みのある、つやのある、みのりこそ、収穫のほめ歌でなくて何でしょう。この収穫は現実のもので、まぎれもないもので、そこにやさしいよろこびの諧調があります。私は未到のものの故に猶若々しく猶その成熟をいつくしむ自分たちを感じます。自分たちがもたないものについて、そのもたない意味を十分に知っていることから、持たない貧相さなど身につけず、却って益※[#二の字点、1−2−22]ひろく瑞々しいマターナルなものに成熟することは、何と面白い愉《たの》しいことでしょう。私たちが愈※[#二の字点、1−2−22]よく生きて、一人二人のもたぬものを、数千万の世代として持つようにしてゆくことは、決して根拠のない空想ではないわ。極めてリアルなことだわ。生む力が精神にもあるということは、普通何でもなく考えられているより意味のあることです。
 バックの「この心の誇り」は鶴見の娘が訳して、しかも抄訳で、日本の読者に分りよくするためと云って、自分の感想を入れたというおそろしいしろものです。いかにも親父の娘らしいでしょう? ですからこの本は、よむに苦しいような本よ。云ってみれば、文字の間にチラチラ、チラチラする作品をさ
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