[#丸3、1−13−3]国立公園富士・清水港より「港から」の写真絵はがき)〕

 ※[#丸1、1−13−1] 九月七日、サイレンが鳴ると、ソラと云って、私も昔の父の仙台平のハカマを縫い直したモンペをはいて熊の仔のような形で出ます。この度は見張りが二人ずつ三十分交代となりましたから大変便利です。この界隈はしずかな隣組で、それも仕合わせです。住居はそういうことにも関係をもって来ました。樵雪という人の絵は、岩や松が生きもののようにムーッとしていて面白いと思います。いかにも一刻な画家らしく。

 ※[#丸2、1−13−2] 九月七日。何と東海道でしょう。もう一枚の肉やのエハガキとくらべて見ると、ほんとに面白いと思います。肉屋のエハガキからはスケッチもかけるし、小説もかけるようです。それだけ生活がある。マアこれは風景だ、と云えばそうではありますけれど。西太后という女のひとの生活力は大したものであったことが今日万寿山を見てもわかるそうです。エカテリナの生活力が今日でもその建物によってわかると同じでしょうか。エカテリナはヴォルテールと文通しました。西太后はその生活力を傾けて反動でした。

 ※[#丸3、1−13−3] 九月七日。バックの「愛国者」の住居は長崎です。いつも海と船とが家から見はらせるところに暮している。段々よむと、主人公の心持の転換のモメントが何だかあいまいです。誇張なしにかかれているが、やはりあいまいです。もとよりそういう階級(富商)の若いものとしてはそうかもしれないが。午後から序文をもって実業之日本へゆきますが、途中でボオーボオーに出会うと電車をおりて軒下に入らなければなりません。門の前にバケツ、タライ、砂、むしろが置かれています。

 九月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 九月十二日  第六十二信
 十日づけのお手紙、その前の分、ありがとう。
 前にかかれている生活のことについての話は、私もそう理解してよみました。現実に私は、あなたのおっしゃるとおりの心持で話していたのですから。そして、本筋のこととして、あれは本当だということもほんとうね。
 このお手紙(けさついた方)やっぱり、私もくりかえしくりかえしよみます。私のかいた点が意外ではないということはうれしい、うれしいと思います。僕も昔から考えているのだから――昔から考えているのだから――昔と
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