くというあたり、いじらしい自然の風趣に満ち満ちて居ります。
 写真の話ね。よく御存知のとおり、わたしは横向きではないこのみでしょう? はすかいがすきでもないわ。
 いつか足が痛そうに一寸ねじれて、と云っていらしたあの写真が、このお手紙のなかで又とりあげられているのをくりかえしよみます。真正面に向った姿は、云わばどんな豊富さにも力にももちこたえてゆく姿です。お母さんのかげに避難したというところ、本当にそんな風にも見えることね。でもああいう場合、私の心には自然と絶えず描かれている姿があるのでね。あすこに坐った刹那、私は自分のとなりが空気ばかりであるのを感じて胸しめつけられる思いでした。私はあのときそっと耳を傾けて、自然の耳にだけ聴える凜々しくいかにもすきな身ごなしにつれておこる衣ずれの音に、心をとられていたようなところだったと思います。私はあすこにいる、そしていない。何かそんな感じ。その内面の状態と、まるで古風なマグネシュームもち出されて大恐慌を来したのと両方でああなのね。面白い写真。今夜はどこも真暗です。でもこれは出して来ます。又ね。

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[自注4]この数日に経験した心持は、何かおそらく一生忘られないところがあると思います――公判のため無理な出廷をして喀血して以来、顕治の健康はずっとよくなかった。裁判所ではあれこれの方法で顕治を出廷させようとして、ある時は拘置所へ出張して公判をつづけようとしたりした。その後、この手紙の時期になって裁判所は顕治を一時拘置所外の療養所へでも入って治療を許可するかのような口吻をもらした。そのことを顕治は百合子につげる時、「多分そんなことは実現しないだろうが」ということをくりかえしつけ加えながら、それでも万一そうなったとき必要な買物などはしておいた方がいいねと云った。顕治の拘禁生活七年目、彼が三十三歳であった。裁判所のこの思わせぶりには転向が条件として附せられていたことがわかったので、顕治は断った。九月六日の手紙と、それに対する顕治の十日の返事はこのいきさつにふれている。
[自注5]そういう会――情報局の編輯者を集めての会議。
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 九月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(※[#丸1、1−13−1]満州国民衆風俗「路傍の肉屋」、※[#丸2、1−13−2]国立公園富士・鈴川より「橋畔に立ちて」、※
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