から、どうしてもAだのBだのとさわがなくてはならないわけね。日本の作家は、そんなに悠々仕事してそしてやってゆくだけの経済基礎がないから、みんなあくせく消耗してしまうのです。代表作集――これは十四年度を御覧になったのでしょう? 果してこういう名にふさわしいのでしょうか、うたがわしい。十五年度の編集がはじまって、それには「三月の第四日曜」が入れられますが。そうよ、健全さ、精神の健全さというものが、高く評価されなければならず、精神の健全さは、すぐもんぺをはく形ではないというところが、今日の健全さへの常識とのたたかいとしてあらわれたりする時代です。生活の意欲に方向がないから、一皮はげばデカダンスかと思い、その逆と云えば、いいとっちゃん的人情世界への沈没かと思ったり、その点浮きつ沈みつね。文学における人間性の課題は、現実にはそこのあたりを彷徨して居ると云えるのでしょう。
 外的なものが作家に与える腐蝕作用を、いつか書いたときのお手紙よりも、このお手紙が作品のあれこれにふれての上なので、やはり実感として見られていて身近な思いです。こんな場合もあるのよ。稲ちゃんに「分身」という小説があって、それは自身のうちにあるニヒリスティックなものをただかこうとしたという作品ですが、女主人公レンは支那のひとと日本の女との間に生れているの。何とかしないではという心を、日本の心、ニヒルなものを支那の血の流れというようにみているところがあって、私には、気になるところです。魯迅の小説が描いた男はニヒルでした。けれども、今日そういう性格の象徴としてはつかえないと思うの。それにたえぬものがあるのが所謂作家でない作家の感情の健全さではないかと思うの。そのことについて作者はこだわらず、いい対象をつかんだと思っているようです。ニヒルなものと闘うというプラスが、題材をそうつかむところにあるマイナス風なものと分離されて出ている。腐蝕作用はこんな風にも出るのですね、柱の裏側を喰うのね。表側は柱だわ、ちゃんと通用する。作品批評は、今日そこまでを触れないのが通念となっています。
 島田のこと。四熊さんは学者の家ですって? だからうちに学問をするものがいるということは心持よいことでもあるのです。いろんな雑誌へ名が出るのはわるくないところがあるのです。しかし自主の標準のないのは当然ですから、人のいう一言二言でいろいろに動かさ
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