ました。ほかならぬそのことなのですもの。一つの道を歩いてゆく、そこにこめられている感動、一本の髪の毛にさわるその感動、渇きもとめる思いや清純なる憤りや深い哀愁が日々に映る、その意味からの題ですから。しかし題として上乗でないとは申せますね。気がついて見ると私たちの生活感が、いかにつよく歴史のうつりへの感想に貫かれていることでしょう。題は「一九三二年の春」以来、「刻々」でしょう、「その年」でしょう、「三月の第四日曜」又はこの「日々の映り」や。作家の生活の反映は微妙をきわめるものですね。
仕事のためよそへ行こうかとふらつく気持。素直にフラつく心持として認めるのが正直のところと思われます。実験室的なものを欲するのではないの、単純に、うちのごちゃごちゃからホッとしたい気持なのね。自分が命令したり、さしずしたりしてやらないと、いくつもの顔がそろってこっち見て待っている家の暮しと、仕事と、その他と、一人っきりやっていると、いやになるのよ。そんなもの放たらかして仕事だけになりたいの。こんな心持は、仕事の源泉的ないそがしさなどとちがったものでね。きっと、二人のときがあって、フーッと云って坐ってしばらく黙っていたら、そういう日々の瞬間に消されつつゆくものが、たまって来て、かんしゃくのようになって来るのね。今の事情でもとよりそれどころではない心持ですけれども。マアときどき国府津にでも行ってムラムラをしずめてやることにいたしましょう。全体の生活の感情から云えば、私は寧ろ、より人々の中を求めています。この界隈のちんまり工合は気にかなったものではないので。一昨夜隣組のあつまりが組長さんのところであって行ったらば(防空演習について)全くお客のもてなしで、おじぎばかりして、本当にえらいことでした。すこしコミカルであってね。この辺は六日に演習です。
九月二日のお手紙けさ着。私、そんなに五六月頃から疲れたと云って居りましたか? 忘れてしまっています。きっとそうね、その頃から変になり出したのね。眼鏡はもう落付いています。でも夜、白い原稿用紙の反射がつかれる感じで、当分は夜やらないことね。そう云えばバーナード・ショウは夜十時に必ず床に入りますって。朝早くおき、午前中仕事して、午後は読書やその他。だから八十何歳でもカクシャクとして仕事しているとかいてありました。私もカクシャクとしていなくてはならないのだ
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