まがないので一筆。三十日のお手紙をありがとう。やっと昨夜『新女苑』のもの二十枚かき、きょうは『文芸』のつづきの仕事。きょうこの頃は、さすがのユリも殆ど憔悴せんばかりの思いです。めかたの減るのが分るような心持。ああ、この思いを知るやしらずや鬼蓼の風、というところね。こんなところに羽衣の天女は降りたのでしょうか。そして、菊池寛によれば伯龍を神経衰弱にしたのでしょうか。
九月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月三日 第六十信
虫の音がしているのに、こうやっている額に汗がにじみます、午後もあつかったことね。お話していて、いるうちに段々かーっとあつくなって、本当にあつかったこと! でも二十八度よ。二十八度だってあついときはあるのだわ。私が何だか苦しそうに汗ばかり拭くので、多賀ちゃん曰ク、きょうは湿度がたかいのでしょう、と。全くね。
多賀子、きょうから新宿の伊セ丹の裏にあるタイプライタ学校にゆくことになりました。月謝五円五十銭、入学金二円、本代二円五十銭也。月謝は東京では皆おなじです。面白そうにしているから結構です。午後一時―三時半。時間もようございます。三ヵ月。
今回の『文芸』の仕事は、私たちにとってなかなか忘れ難いものとなりました。とにかく一年の上つづけて来た仕事でしたから、かき終って何だか余韻永く、なかなか眠れませんでした。ヴェートウベンなんかのシムフォニーがフィナレに来て、もう終ろうとして、しかし未だ情熱がうちかえして響くあの心理のリズムは文字で表現されるものにもあって、終りはなかなかむずかしゅうございました。題は「しかし明日《あした》へ」というのよ。婦人作家の成長の条件は益※[#二の字点、1−2−22]困難となって来ています。けれども、
[#ここから2字下げ]
「女性のかなしいくらいふしぎな責任。
それは絶望してはならないということだ。」
[#ここで字下げ終わり]
そういう永瀬清子の詩をひいてね。とくに日本の女性、日本の文学やその他の芸術の仕事をする女性は絶望してはならない、雑草のようにつよい根をもたなければならないという終りです。
『乳房』のなかには、やっぱり「小祝の一家」入って居りません。そうでしょう、いくらユリはあんぽんでも、覚えている筈ですもの。
「日々の映り」の題として私の心に浮んだ同じ必然がうつったというのは大変面白く感じ
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