ないで案外やっかいなものよ。
眼はやっとどうやら眼鏡はおさまったようです、能率はまだ低いと思います、きのうは、でも六七枚、お客の間にどうやらかきましたが。これから『新女苑』の例月の二十枚、『文芸』『婦人画報』の二十枚があります。『文芸』のは最終の部分になるでしょう。
「心の河」写してくれた人たちが、作品として、今日の若い女のひとの心の問題や気持に近くて是非ほしいというし、その意味では私も心をひかれるので、やはり入れることにしました。作品として客観的にあらわれた意味の点から入っていてもいいと思ったので。「小祝の一家」をすこしところどころ削って入れて、「日々の映り」というあいまいの題で書いたのをすこし手を入れて集めたら、いくらか系統だつのだろうと思います。「刻々」ね、あれは私自分であなたに云いまちがえたのよ、「その年」というの、母の心をかいたものは。「その年」というのは短篇集にいい題でしょう。ですから「日々の映り」を「その年」として見ようかと思います、内容はふさわしくないこともないのですから。
只今電報つきました。すぐききましたら旅行から今朝かえりました由。そして又出かけて留守。今夜多分かえるでしょう、出さき不明の由です。夜こちらへ電話かけるとのことです。
寿江子がおなかをわるくして寝ました。見舞いに行ってやるつもりです。あつくかければ苦しいし、おなか冷えるようだったり、今はわるい気候ですね。
林町の連中は皆開成山です、寿江子一人留守い。それで寝ているからすこし可哀想でしょう。
アルスの写真のこと、一寸きいて見る心当りあり、本やにもたのんで見ましょう。
いつかの写真ブックについての感想同じでしたね。相当悪趣味なのもありましたね。『少女の友』なんかに、目の大きい夢二の絵より一層病的な絵をかいて抒情画と称して少女たちにやんやとうけていた中原淳一が、健全な銃後の少女のためによくないと禁じられました。泣いた子があったそうです。作品でも絵でも、芸術の本性からくさったものがあるということと、しかしそれを芸術外の力で掃除するということとは、一つことでないところが微妙でむずかしいところなのでしょう。
冨美子がきっと下で待ちかねているのよ、ではね。
八月三十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(国立公園富士・三保松原の写真絵はがき)〕
八月三十一日、手紙かいているひ
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