の世界では、その二つがくいちがっていて、客観的な条件は、その歴史性でとらえてだけ主観的に体得される幸福のよりどころとなり得る関係です。
 小樽のおばあさんをつれて、てっちゃんの家で夕飯をたべていたとき、静岡の大火のことがわかりました。(十五日)何しろあすこは鶴さんの故郷ですからびっくりしていたら、いいあんばいに、六千戸もやけたその外廓で、わずか一二町のところで、三軒ともたすかりましたそうです。よかったこと。今の火事は本当に気の毒です。ものがないもの。そしたら皆おじけづいてね、動産ホケンかけようと云いました。本だって何だって大変です。このラワンの机が今こしらえたら70[#「70」は縦中横]ぐらいですって。二十円そこそこのものでしたが。48.00 だったこのシモン Bed なんか大した財産というので大いに笑いました、鉄成金になった、と云って。十倍として見ろ、なんて云うんですもの! この動産ホケンのことは真面目に考えて居ります、僅の掛金ならやります。
『中公』の書き下し長篇の話、本きまりになりました。顔ぶれはどういうのかその選びかたが分らないみたいです、女では、岡本かの子、私きり。男では石川、丹羽、石上(新しい人です)そのほか。いろんなところから書き下しが出ているが質のちゃんとしたもの、長篇とはかかるものなりというにたるもの、そういうものを出したい由。紙数が制限されてのびのびかけないから、そういう文学上の意義を完了させたい由。四百五十枚ぐらいの由。七八千刷る由。一割二分の由。四五月ごろからかきはじめることになりそうです。それ迄にすっかりいろいろすませて、それに全部かけます。印税をすこしずつつかって兵糧にして。ああと思うのよ、本当にかきたいものを、と思って。しかしよくよく構成をねって私はかきたいこと、書きたい情景、いろいろ出来るだけ活かして見るつもりです。今はまだまだそこに行っていず。手前ですまさなければならないもの一杯だから。これを二月一杯にすませ、三月以後はほかの仕事は大体のばして。三ヵ月びっしりかかってかき上げます。たのしみです。二年に一冊長篇かくことにして、勉強するのもいいと出版部の人とも話しました。マアこれも先のこと。
 東京堂あたりへ行って見ると何とどっさりひどい本が(粗末な装幀で)出ているでしょう。書くものの身になると大安売りの姿で悲しゅうございます。だからし
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