ですから、なかなか面白い。テーマが、題材との関係で、積極性を求めて云われたとき、このモチーフにふれて、芸術的分析を十分にして云われなかったことも思い出します。当然のこととしてのみこんでしまっていたと思う。本来的に会得されていたものとして。でも、私一人のことについて考えて見るとテーマとモチーフのことは微妙で、たとえば「小祝の一家」ね、あれなどモチーフがはっきりしている部だけれども、でも、やっぱりもう一層自覚されていたら、もっと作品の上でのふくらみ動き流れるもののたっぷりさがあったと思います。このことは、大変大変面白い点よ。私はモチーフなしにかける作家ではなく生れついているわけですが、テーマのとらえかた、とらえられたテーマの正当性、というか、そんなものへのよりかかりが或ときは生じていたと思う。失敗の部に入る作品は、大体こういうところにその原因があったとも思います。テーマはその骨組みは頭脳的なものでもとらえられるのですから。
いろいろと目を白黒させないように、などと! ああわかったわ、あなたは、すこしユリがのぼせて目玉クルクルさせて、そういうところ御覧になりたいのでしょう? ところが、これはあにはからんやというところです、決してソワつかないのよ。泰然としてね、それは正月でしたからすこしよふかしもいたしましたけれども、大体は早ねで、本よみも、すてては居りません。いずれ、表を。と云って礼儀ぶかくひき下るのよ、大した奥様ぶりよ。フーンでしょう?
多賀ちゃんは、年若い仕合わせに、なるたけさしつかえのないところへは一緒に出かけ、変化も多く暮して居ります。大島のよく似合う着物羽織一組買ってやりました。これは知っている人がお払いはいつでも、チビチビで売ってくれるのです。お金で月給やるようなわけ合のものではありませんから。ところが、表は出来たが裏がないのよ。赤い赤絹《もみ》の布がどこにもないのです、織元でひき合わぬ由。三月になって洋裁がはじまったら多賀ちゃんとしての一日の割当が出来ますから、そしたらそんなに一緒にも出ません。
富ちゃんの年賀電報、そうでしょう? それに、最大の謝意ということ、よくわかります。
「北極飛行」本当にすきです。幸福ということは、どういうことかなどとよく論議されたが、主観と客観の幸福がああいう形で一致し得るということは、何という明るいよろこびでしょうね。多く
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