のない橋を架け、必要にしたがって平静にその上を往来して、やって行きましょうね。
私がいくらか人生を生きて来ているということは、こんな際何という仕合わせでしょう。鬼面に脅かされきらずに沮喪の感覚をもってゆけることは、お互の何という仕合わせでしょう。よろめいても倒れないことは何とよろこびでしょう。この傷からよしやいくらかの血を失っても、急所は別のところにもっている、そのうれしさというものも感じます。
今夜も雷が鳴ります、稲妻がはためきます。こういう夜々に、心の傷をしずかに嘗め、物を思っている精神の姿は、大変あなたに近く感じられるでしょう。
私たちは、こんなとき、一緒にいてもきっと言葉すくなく一つ心の四の瞳という工合にして蚊帖に射す稲妻の色を見ていることでしょうね。私たちはそういう人間たちだわ。別の人間たちではないわ。では御機嫌よくね。
八月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月二十五日 第五十九信
八月二十一日朝づけのお手紙。ありがとう。不順な天気ね、もう二百十日の先ぶれの風が吹いて来ました。今年は六つ本がまとまる筈[#「筈」に傍点]なのですが。私としてはまとまることを希望し且つそのようにやってゆくしかないわけですけれど。
あらあらマア、この夕立! 大さわぎしてあっちこっちで洗濯ものをとりこんでいます、でも気持がいいこと。この手紙をかき終ったら、冨美子が女子大というところを見たいというからつれてゆくところです。丁度夕立の間やみになって。
冨美子は、あれから遊覧バスにのって一日東京見物をし、きのうは渋谷の海軍館と三越とを見物。きょうは女大。明日は一日鎌倉、江の島へ出かけます。二十七日は翌日立ちますから夜夕飯をたべにつれて行ってやって、伊東やで本立てを記念にかってやることにしました。
島田へはきょう手紙かきました。あたりまえの手紙。そして冨美子のかえるときお母さんのおびあげ、友ちゃんの半エリ、達ちゃんのかみそりの刃をとぐもの、ことづけます。これからも、これまでどおりしてゆくことは致しますから御安心下さい。私が心をくばるのは、何か云いわけのような意味からでないことさえわかっていて下さればいいと思います。
この間の夕立のこと。それはわかっているわ、それは大丈夫です、けれども、あの折は私の気持やっぱりああいう工合になったの。いろんな続き
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